Scarlet Destination

Atrocious Raidを先に読んで頂けると話がわかりやすいかと思います



昼過ぎ、テーブルもそこそこに埋まっているある喫茶店。

ちらちらと他客からの視線が集まっている先に、退屈そうに頬杖をついているマリンの――正確には"リン"と呼ばれる人格だが――姿があった。
その容姿と流れるような真紅の髪は注目を集め、特に少し離れた席に座っている若い男二人組が先程から顔を見合わせちらちらと伺いながら何事か話している。

「……」

視線に気付いているのかいないのか、リンは暇そうに残ったケーキをフォークで突くだけ。
そこで、若い男二人が顔を見合わせにやりと笑うと、立ち上がりリンの傍まで近付いてきた。

「こんにちは~、お姉さん。可愛いね、暇ならオレたちと遊びに行かない?」
「ん……」

上半身を起こさず、気だるげに視線だけを向けると、そこには軽薄そうな顔が二つ並んでいる。

「悪いけど…… 興味無いわ。 他当たってくれる?」
「まあまあ。そんなこと言わずにさあ。もっと美味しいケーキもご飯も奢ってあげるよ?」

愛想よく笑いかけ、男達は向けられた紅い瞳を覗き込む。
片方の男が勝手にリンの向かいに席に着き、誘い文句を続けた。

「ごはんで釣れると思った? 惜しいわね。 面白い奴のご飯、なら乗ってたわ。貴方達つまんなさそうだから、消えてくれる?」

一切オブラートに包むことなく、追い払うように片手を払いながら直接的な拒絶の言葉。
しかしそれでも男達はにこにこと笑い、立っていたほうの男が言葉を続けながらその片手に手を伸ばす。

「え~~~っ、君、面白いコだねー! 可愛い上に変わってるとか、気になるなぁ。気の強い子とか、オレ好きなんだよねー」


その瞬間、ばちぃん、という弾けるような大きな音と共に店内が静まり返る。
リンが伸びてきた手を加減無しにはたき落とした音だ。


「「私」に触れないで…… 鬱陶しい。」

炎のような紅の瞳が、不快気に鋭く細められる。
手を叩かれた男はそこでようやく笑みが消え、痺れる手の甲を撫でながらリンを見下ろす。

「……ッいって…なんだこいつ、馬鹿力……遊んでやるって言ってんだから、大人しく着いて来れば可愛いのによ!」
「ぷっ、だっせーお前…弱すぎだろ、女なんだからこうやって引っ張っていけば楽勝だって…」

今度はその様子を見ていた座っていたほうの男が手を伸ばした―― が、その手がリンに届くことはなかった。

いつの間にか現れた人影が、その伸ばされた手に突っ込ませる形で、湯気を立てるマグカップをさりげなく握らせたからだ。


「はい、お待たせいたしました。ブラックでございます、と」


その声にリンが初めて上半身を起こし、人影のほうに振り向く。
紫色の髪、蒼い瞳。 美形だがやや女顔で、歳は20歳程度か。店員のようで制服を身に着けている。

その姿を視界に入れた時、リンの目が微かに見開かれたように見えた。

「あッつ……!? て、てめ……!」

熱いマグカップを直接握らされた男は当然、慌てて手を引っ込めて現れた店員を睨みつける。
男達がリンを口説き始めた辺りからこのテーブルに向いていた店中の視線は今や突然現れた店員に向き、当の本人はリンに苦笑いを見せ口を開いた。

「申し訳ありません、せっかくの御休み時をお邪魔してしまいまして。お詫びといってはなんですが…」

そう言うと今度は片手に掲げたトレーから、小さなデミタスカップに注がれたカプチーノをリンの前に置く。

「どうぞ。サービスです」
「ん。……貰っとくわ」

カプチーノを差し出されたリンは、遠慮や戸惑いの様子もなくそれに口をつけて。

「ケーキもだけど、悪くない味ね。 美味しい店を人に聞かれたら、おすすめしといてあげる。」
「そりゃ有難い! ……っと、失礼。光栄です」

世辞ではない率直な感想に、おどけたような明るい表情で微笑むが、咳払いをしてわざとらしく頭を下げる。
だが放置され蚊帳の外の男二人が黙っているはずはなく、苛立たしげに店員を睨み口を開いた。

「この野郎、客に向かって何してくれてんだ」
「なよなよした見た目しやがって、痛い目見せてやろうか?あ?」

座っていた男が立ち上がり、店員の肩を掴む。 リンは助けようともせず、マイペースにもう一度カプチーノに口をつける。
それに対し肩を掴まれた店員はちらりとその手を眼だけで見下ろし、にこりと笑った。

「え、客だったんですか。それは大変失礼しました! あはは」

にこにこと言葉を続けながらトレーをテーブルに置くと、その上に乗せられた小さめのホールケーキを二つ、両手に持つ。

「じゃ、お客様にはお帰り願いましょうかね。あ、どうぞこちら、お土産です」

そのケーキを思い切り振りかぶる。男達が慌てて口を開き何事か――恐らく文句か悲鳴――を叫ぼうとしていたが、遅い。


ばしゃり、という音と共に、男達の顔面にケーキが直撃した。


衝撃に尻餅をついた二人も、周囲の客もしーんと静まり返る中、当の店員はぱんぱんと手をはたき、何事もなかったかのようにトレーを取り直す。

「あ、大変お騒がせしました~。どうぞごゆっくり」
「………」

流石にリンも驚いたのか、そこでようやく店員に首根っこを引きずられる男達に目を向けた。
へら、と笑って周囲の客に会釈した店員は重そうに二人を引きずりつつ、リンの前を通り過ぎかけてから振り返る。

「あ、ほんとすみませんね。ちょっと派手にやっちゃったんですけど、生クリームとか飛んでないですか?大丈夫?」
「飛んでないわよ。 それよりもう行くわ、お会計。」

答えるリンが初めて口角を上げ、笑みを見せた。

「そうですか、よかった。ちょっと待っててくださいね~、コレ片づけてきますんで」

応えるようににへらと笑いかけると、彼は今度こそ戻っていく。


追うようにリンも席を立ち、財布を取り出しながらキッチンの方に近付いてみると、店長らしき人物に叱られている先程の店員の姿があった。
はじめは情けない声を出していたものの、肩を竦めて自分の財布を取り出したところでリンの存在に気付く。

「あ、さっきの……店長、レジ入れとくんで…はい。…はーい、もうしません。ゴメンナサイ!」

大きく頭を下げると、リンの応対のためにレジに回り込む。

「お待たせしました~……あはは、カッコ悪いとこ見られちゃいましたね。伝票お預かりします」
「別に。 けどお礼は言わないわよ。 面倒だけど、わたし1人で追い払えたんだから。」
「勿論、お礼を言われたいだけで、あんなことできませんよ。自腹切ることになりましたし…」
「バカね。 ……」

代金を払うと、先程彼を叱っていた店長のほうに視線を移す。

「ねえ。 この店員、こんな問題起こしちゃったら、もう今日は帰らせるしかないんじゃない?」

レジに立つ紫髪の男を指差し、しれっと言う。
話を振られた店長は驚いたようにリンを見ると、慌てて頭を下げながら、

「先ほどは大変申し訳ありませんでした。……そうですね、掃除をさせようかと思いましたが…」

ちらり、とレジの紫髪の男を見て。 げっ、という顔で振り返ったその目と視線が合う。

「て、てんちょ……来週…六日出るんで……」
「…………。そうですね、お客様もこれの顔を見るとゆっくりお休みになっていただけないかもしれませんし。帰しましょう」
「…… ……お返しです。有難うございましたー…」

遠い目になった紫髪の店員が、リンの掌にお釣りを乗せた。
対照的なリンは満足げに頷き、口を開く。

「じゃあ、ちょっと付き合いなさい。 時間にゆとりができて良かったでしょ?」
「いや、給料的には困……付き合えって、どこに?」
「決まってるでしょ? その辺に、よ。」

レジに寄りかかり、リンがにこりと微笑みながら言った。

「暇を潰しにお店に来たら、それより面白そうな奴がいるんだもの。 これは付き合わせるしかないでしょ?」
「そ、その辺ー? …確かに時間はあるし、構わないけどさ……俺は何にも面白いところなんてないぞー?」
「良いからついてきなさいよ、男の癖に女々しいんだから。早くしないとこのお兄さんに腕触られましたって叫ぶわよ?」
「はっ? いやいや、言いがかり……」

言いかけて、店長からの視線に身を震わせ。慌てて何度も頷く。

「わかりました! お付き合いさせて頂きます!」
「それでいいのよ。ほら、そうと決まったらはやく準備。 行きましょ?」
「き、着替えてくるから、店の前でちょっと待っててくれ…」

満足したように笑って組んだ両手の片手の人差し指を立てるリンと、レジを閉じ苦笑しながら踵を反す紫髪の男性。
言われた通りにリンが先に店を後にし、店の前で待つことにした。




「遅いわ。 寒いんだからあんまり待たせないでくれる?」
「ごめんって。色々書かなきゃいけないもんとかあってさ……」

普段着に着替えた男性が早足で現れ、不機嫌に腕を組むリンと共に白い息を吐く。

「……で、暇つぶしって言ってたけど…何するんだ?散歩?えーと……『お客様』」
「さあ?最初から考えがあったら、そもそも暇してないわよ。 ね、何か考えてよ?」

自分から誘いをかけておきながら、まるで無責任なことを両手を上げて言う。
振りをかけられた男性は、周りを見渡して考えるも特に何も思い浮かばなかったようで、

「無茶振りするなあ…… ……とりあえずさ、突っ立ってても寒いし、歩こうぜ」

ゆっくりと歩き出しながら、彼は言葉を続ける。辺りは多くの人が行き交い、人混みの中二人は歩き出した。

「名前も知らないし……それ聞きながら。歩いてるうちに、なにか面白いもんあるかもしれない」
「……」

正面を向きながらかけられた声に、リンはその紫の髪、横顔を見上げる。
何かを思い出すかのように、再び視線を正面に戻して。

「そうね…… 名前を聞かないままにすると、後悔するかもしれないから。 でも、人の名前を聞くときは自分から、でしょ。 貴方の名前は?」
「…… …確かにそうだ。」

彼は一瞬、半端に固まった顔のまま、横に並ぶリンの表情をじっと見下ろしていたが、瞬きで切り替えて、へらへらと笑った。
肯定し、そのまま口を開く。

「俺は、ハルオレット。ま、見てのとおり、しがないアルバイター。で、そっちは?」
「しがないアルバイターって…… 本当にしがないわね。 ……わたしは―――」

ハルオレットと名乗った紫髪の男性に、一瞬の間を置いてリンも名乗る。

「……"リン"。 ま、好きに呼んでくれて良いけど。
 ほら、名乗ったわ、ハル。 何か面白いこと思いついた?」
「リン、だな。……」

名乗られた名前を繰り返すが、ハルオレットは自分の名前が呼ばれたことのほうに気をとられているようだった。
ぼんやり景色を眺めているリンの横顔の頬にかかる、紅い髪の揺れを目で追って、不審に思われない程度に軽く頭を振る。

「……だから、無茶振りだって。面白いことって言ったって、大雑把すぎて…さっきお茶してたんだから、飲み食いはもういいだろー? うーん……そうだなー…」
「……ねぇ、ハル。 さっきわたしを助けたこと、後悔してる?」
「後悔? ……確かにアルバイターとしては若干やらかしたけど」

考え込んでいたところに急に声をかけられ、ハルオレットは不思議そうにリンの横顔をもう一度見る。

「リンを助けたこと自体を後悔してるわけじゃないぞ。店の空気を悪くしてるなと思ったから、動いたんだしさ」
「……ん。 ならいいわ。 」

紅い髪をかき上げ、いまいち感情の読めない表情に正面に向ける。
その顔の理由がわからず、ハルオレットは小さく首を傾げた。

「……人、多いわね…… お祭りでもあるのかしら?」
「……祭り…この真冬に? ……ああ、公園か。…なんか看板立ってる」
「あ、待ってよっ」

身長の差故か、人々の源に先に気付いたのはハルオレットだった。
器用にするすると人混みを抜け、公園の入口前まで進み、看板を見下ろす。リンもそれに続いた。

ポップな看板には手書きのチラシらしきものが貼り付けられていて、フリーマーケット、という文字が見える。
しかし公園内には撤収の気配が漂っていて、人波はここから排出された人々のようだった。

「なるほどね。この寒いのに、皆元気だなー。もう終わっちゃったみたいだけど、寄ってく?」
「ん。 仕方ないわね、そうするわ。 で、フリーマーケットって何?」
「ん? そうだなー…」

少し驚いたようだったが、揶揄うことなくハルオレットは説明を始めた。

「もういらなくなったものとか、あるいは趣味で手作りした服とか、アクセサリーとか…まあ、なんでもいいんだけど
 そういうものを、自分たちで値段決めて、安く売るんだ。市場の真似事みたいな感じかな…ほら、あれとか」
「えーと…… ブレスレットかしら? 売れるものなの?」

指差した先には、撤収作業中のピンクのシートの上に、ありふれたラックに掛けられた手作りのブレスレットが並んでいた。
返答を求められたハルオレットは、作業している人たちに聞こえないように少しだけ声を落として答える。

「うーん…そうだな、安いし、お祭りみたいなもんではあるから。…夜店のタコ焼きとか、大したことないのについ買っちゃうだろ?」
「ふーん、なるほどね……」

合点がいったようでリンは興味深げに辺りを見渡した。
ハルオレットは、にこりと微笑んだ女性に愛想よく笑い返して、まだ片付けられていない商品たちを指差し問う。

「ちょっとだけ見ていってもいいですか」

女性はどうぞ、と快く返し、ハルオレットがリンにちょいちょいと手招きした。

「いいの?」
「うん。…ほら、手作りだけど、結構かわいいんじゃないか? 女の子、こういうの好きだろう?」
「女なら皆好き、ってわけじゃないと思うけど…… ……まぁ、悪くないわね」

ハルオレットがそっと指先で掬うように持ち上げると、ビーズがきらきらと冬の光に煌く。小さな値札に書かれた値段は、驚くほど安かった。
リンは興味なさげな言葉を返しながらも、それをじっと眺めている。

「花より団子か? はは、妹を思い出すな……なんて、こんなこと言ったら、あいつは怒りそうだけど…」
「ふぅん、妹がいるのね……可愛い?」
「そりゃあ、もちろん。 可愛いさ、何より可愛い。大事な妹だよ」
「よっぽどね……」

ブレスレットを眺めるリンに問われ、ハルオレットはにっとした兄らしい顔で笑い、自信に満ちた様子で答えた。
それにリンは一度ブレスレットから目を外し、その表情を見上げてもう一度問う。

「何より可愛いって、つまり貴方にとっての一番ってことでしょ? 一番とそれ以外の差って、大きいのよ。
 揺らぐようなことがあったら、その一番に失礼なの。 その妹をずっと、ちゃんと一番に大事にしてきた?」
「勿論、一番大事にしてきた。何を置いても。何があっても。……何を捨てても、だ。例えどれだけ、大切にしたかったものでも。
 捨てたものを懐かしむことはあるけど、俺は絶対にそのことを、後悔はしないぜ。……二兎は追えないって、わかっているから」

少し大袈裟に思えるリンの問いだったが、ハルオレットはそれに真剣味を帯びた表情で答えた。紅い瞳と、群青色の眼が交差する。
それに目を逸らすことなく、リンは更に続ける。

「じゃあ、父親でも母親でも…… 貴方にとって2番目に大事な人が、貴方の妹にナイフを振りかぶっているとするわね。
 貴方の手元には短剣がある。 そしたら、貴方はどうするの?」
「そいつを刺すよ。」

さらりと、何の気負いも躊躇いも無しに。平和なほどの声音で、彼ははっきりと呟いた。

「……当たり前だろ? 一番大事って、そういうことじゃないか。…それで、妹がもしも俺に怯えるようなら。
 そのときは、自分も刺す。…あの子のために、何かを捨てるのは、初めてじゃないんだ。何年も前から、ずっとそうしてきた」

元々どこか眠たげな瞳が、笑みに薄く細められる。

「…だから、その試す質問は、無意味だぜ?」
「そう…… いえ、意味はあったわ。」

一度視線を外し、その場で立ち上がるリン。
そして顔をずい、とハルオレットに寄せ、粗相を叱るような表情を間近で向けた。

「貴方、後悔してるでしょ?」
「……後悔?」

思わず少し仰け反り、目を丸くするハルオレットに対し、リンは構わず続ける。

「今まで捨てたものに対して99.9%、いえ――100%、これで良かったと思ってるかもしれない。
 でもどこかで、小数点以下の粒みたいなサイズで、貴方は捨てたものに悔いを残してる。」
「ま、人間だからそりゃ完璧に割り切ることなんてできっこないし、悪かないけど。 バカだな、って思ったの。」
「…………」

その言葉、その姿に何を思ったのか。
さらりとマリンの肩から流れ落ちる紅い髪を目で辿ると、彼は店の女性に軽く会釈し、のんびり歩き出す。

「そりゃあもう、めちゃくちゃバカだよ。兄馬鹿だ。よくさ、タイムリープものって、あるだろ? ラノベとかに」
「らのべ?よくわからないけど、時を遡るってやつかしら?」
「何、ラノベ読んだことないのか? 面白い話結構あるんだぞ、今度読んで……まあいいや。そう、時を溯る話。」

人差し指を立て、話を始めたハルオレットの後ろにリンが続く。

「たとえば俺がそんな風に、時を溯ることができて。捨ててきたものの前に、リンが言う、小数点以下の粒のような後悔の前に、もう一度立たされたとしても。
 何十回、何百回、カミサマが馬鹿みたいにやり直させたとしても、だ。」
「妹の顔を思い出せば、声を思い出せば、……絶対に、俺は同じ選択をするよ。カミサマが諦めるまでね。それくらい、バカだぜ」

一歩後ろを歩くリンからは、その表情は窺い知れない。
リンはただ、背後から不意に一言、名前を呼ぶ。

「……ねぇ、ハル」
「んー? なんだ?」

寒々しい並木を眺めたまま、声だけで返事をするハルオレット。その両目が急に塞がれる。
爪先立ちになったリンの、手袋越しの両手だと気付いたのは一瞬置いてだった。

「えいっ」
「うおっ、? な、なんだ?急に…手袋つめたっ!これ革か!? つめ、つめたい!」

彼らしくと言うべきか、おどけたように身動くハルオレット。

それに構わず、リンが口を開く。落ち着かせるように、労わるように、叱るように。

「たまにでいいわ。つらいときは、なきなさい。」
「いたいときは、いたいっていう。 これ、やくそくよ。 きょひけんはないからね?」

ぴた、と動きを止め。目元に触れる手袋越しの指先に手を触れさせたまま、一度唇を開いて、また閉じる。
ハルオレットがもう一度唇を開いた時には、笑みの形になっていた。笑っている声は、ごく微かに震えて。

「……はは、……変わってない、なあ。相変わらず、横暴で、強くて、譲らなくてさ、……。おかしいな、俺、…おれは、幽霊否定派なんだけど」
「……いいのか?俺と約束なんかして、……前も、破っただろ。やくそく」

ぽつぽつと紡がれる言葉と共に、その手はそろそろと持ち上がり、リンの手を握る。

「わたし、過去より先のことに目を向ける人間だから。100回破られた後でも言うわ。 良いわね、約束。 わかった?妹を守るナイトさん?」
「……ふ、っ…はは。オーケー、俺も先のことに目を向けたい人間だ。約束するよ」

目を伏せリンの手を下ろさせると、その手を取ったまま振り向き向き合い、小指を軽く絡めて小さく振る。
まるで昔からの幼馴染のように、二人で微笑み合った。

「ゆびきり、げんまん。な」
「……ん。ゆびきりね。 破ったら、百回でも千回でも、いくらでも針飲ませるからね?」
「んんんー……先述のとーり、妹姫君のためなら誓いも反故にする騎士ゆえ、勘弁願いたいところ…
 ……ま、善処するよ。針で泣かされそうだ」
「ん……まぁいいわ、それで。 貴方の事情なんて知ったことじゃないもの、地獄からでも天国からでも飲ませに行ってやるわ。」

いつもの調子で言って頭を掻いてから、そっと指をはずす。
それを見届けたリンは、何処か少しだけ寂しそうな表情で横を向き、長い髪をかき上げて言う。

「……それじゃ、もう行くわ、ハル。 わたしは満足したから…… ……それに、やることがあるから。」

その様子を見たハルオレットの指先が、ぴくりと跳ねる。が、手を伸ばすことはなかった。

「……そっか。……、…リンが幽霊なのか、それ以外の何かなのか、俺にはわからないけどさ……
 まあ、なんつーか。また『遊べて』よかったな、って、思う。……それじゃ、な。……元気で」
「……ふふ、それでいいのよ。」

歳相応のようで、何処か少年の面影を感じさせる優しい微笑み。 それを暫し眺めて、リンはやがて満足したように微笑む。

「誰と勘違いしてるか知らないけど、わたしは遊びにきただけだから。それじゃね、ハル。 覚えておくから、貴方の名前。」
「はは、確かに。……俺も、覚えとく。今度はちゃんと、覚えとくよ」

あっさり、と言えるほどにリンは踵を反し、手を振って。二人は別れた。
引き止めることなく、別れを惜しむことなく。 ただ紅い髪の靡く軌跡を、黙ってハルオレットが見つめ続けていた。

やがてその背中が完全に見えなくなっても、彼はしばらく1人で冬の公園に佇んでいたが、ひとつくしゃみをしてから踵を返すと、ぐす、と鼻を啜る。


「……はー……さっむ…」






「(……あーあ……二度も言いそびれちゃうなんてね。
 ……さようなら、ハル)」

濁ったような白い冬の空。
白い息と共に、それをずっと見上げていた。

  • 最終更新:2016-01-18 00:48:29

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