Innocent AiR
ロミオが潜入した施設東側の塔。
施設の崩壊が進み、時折爆発音や揺れは伝わってくるものの、塔内部はしんと静まり返っている。
その最上階、ひんやりと冷えた床の上でロミオは満身創痍のその身体を横たえていた。
失神と覚醒を繰り返し、朦朧とする意識の中で、何者かの気配を感じ取っていた。
その気配は、羽のようにロミオの頬を撫でていた。
しばらくして、足を引きずる微かな音が近付いてくる。
ロミオがそこにいるのが分かっているかのように、その進行には滞りがない。
真っ直ぐ、ゆっくりと向かってきたその人影は、ことんと側に膝を落とした。
ロミオの頬に、実際に何かが触れる。結い上げたものの、激しい戦闘ですっかりほどけてしまった、赤い髪の一房。
「…………ロミオ」
その声に応えようと、乾いた唇が僅かに開く。
すぐ傍に居るであろう、愛しい者の名を呼びながら、その手が宙を掻くように擡げられる。
「……っ……ル、リ………」
瞼が重い。妙に現実感のない夢見心地のままルリの姿を求めて、指は震え蠢き、その名をうわ言のように呼び続けて。
その指先を、そっと白い手が掬い上げる。
焼けただれた皮膚と裂けた傷口を、癒す光のフォトン、レスタが包んでいく。
「…………酷いね……これじゃ、お揃いになっちゃう」
僅か苦笑を含んだ声が、ロミオの髪に降ってくる。
握った手は少しだけ冷えていて、馴染み深い体温だった。
握られた手を、ゆっくりと握り返しながら。
ロミオはその体温に反応するように、大きく息を吸って。
「……夢、じゃ、ない?……そこに、いる?」
かさついた荒い息交じりではあるが、先程までよりもはっきりした口調で。
徐々に、力を取り戻していくかのように。
「……うん」
握り返してくる指を、ルリは両手で包み込む。
レスタを注ぎ込み続けてはいるものの、出力はいつもより細く弱い。
頭を垂れた姿も力無いのが、ロミオにもそのうち分かってしまうだろう。
それでも柔らかく微笑みを湛えながら、目覚めを促すように、ゆるりと手を揺する。
「……ここに、いるよ。ロミオ」
ルリがそこにいる。
光は確かに常より弱い、だが漲っていくのを感じる。
弱々しかった指先が、縋りつくように力に満ちていく。
「……ルリ……」
深呼吸を幾度か繰り返した後、ゆっくりと目を開く。
ルリの姿をはっきりと確認して、ロミオは安堵したように笑みを浮かべる。
「……来て、くれたんだね」
緑青の双眸が、照明を失った空間で、フォトンの微かな光を反射して輝いている。
ロミオの笑顔に額を寄せると、ルリの赤い髪がカーテンのように二人の表情を覆った。
愛しげな声で囁く。
「うん。…………頑張った、ね」
ルリの光る瞳を見上げ、そのままうっとりと見つめ続けていたが。
その言葉に、はっと思い出したかのように。
「……ルリ、君がここに居るって事は……マリンさんは……?」
「…………」
言葉を選んでいるのか、それとも飲み込んだのか、唇を噛む。
片手でロミオの指を握るまま、もう片方の手で金色の髪を撫でて。
「セラフィナは、退けた。……でも、……」
「…………リン、が。からだを与えられて、甦ったリンが、暴走してる。マリンは、それを止めに」
聞くや否や、ロミオは引き摺る様に上体を起こそうとする。
食いしばった歯の奥から苦しげな呻きが漏れ、塞がり切らない傷に血が滲む。
「……っ、ぐ、うぅ!……!」
無理に身体を起こそうとするロミオを抱き留める。
ルリの戦闘衣に血が移り、互いに赤く染まって。
「……だめ、だよ。……ロミオも、私も……クロエさんも。たぶん、フレイさんも。もう、動けないから。……」
「だからマリンが、決着をつけに行った。……邪魔は、できない、よ」
ルリの言葉に、肩で大きく呼吸しつつ、ロミオはがくりと項垂れて。
「僕は……皆を救うなんて、大きな事を言って……」
そこまで言い、再び顔を上げて、ルリを見つめる。
「……そうだ、ルリ!レンは……レンは居なかったか!?この下のフロアに……!」
宥めるように、慰めるように、ロミオの背を撫でる。
ロミオの目から、睫毛を伏せることで視線をはずすと、ゆるゆる首を振り。
「……私が来たときには、誰も」
ルリの言葉に頷きつつ。
セラフィナの言葉を思い出しながら、複雑な表情を浮かべて。
「……皆救って見せるなんて、僕はレンに……あいつに、偉そうな事を言って……」
ルリの気遣いは判っていたが、それでも尚、ロミオは立ち上がろうとして。
「……マリンさんまで失ってしまったら……結局、僕は、何も出来なかったことになる!」
「……ロミオ」
制しようとするでもなく、やんわりとロミオを抱き寄せる。
「……邪魔できない、って、言ったでしょ」
「…………マリンは、自分だけで行くことを選んだ。……自分で、運命を決めに行った。だから、ここからは、マリンだけのもの」
「……大丈夫。約束したから……きっとリンを連れて、戻ってくるよ」
ルリの言葉に脱力したロミオは、もたれかかる様に身を寄せると、ぎゅうと抱き締めて。
「……………は……」
「………心配、だったんだ、皆……」
「……うん」
「……皆、居なくなってしまったら、僕はもう……自分を救えなくなってしまうから」
「……結局、自分本位なんだ。僕は……」
そっとロミオの瞼に口付ける。
ぽつぽつと零れ出るような声を静かに聞いて、うなずく代わりに背を撫でる。
「……自分が助かりたいから、誰かを助けるんじゃない、って。そういうのじゃないって、分かってるよ」
「何にもできなかった、なんて、そんなことない。……ロミオが、レンさんを止めてくれて。フレイさんが、スコールを止めてくれた。だから私たちは、セラフィナを止められたし……マリンを、送り出せた」
「……ロミオは、ちゃんと、自分に皆が必要だって分かってて。だから自分のことみたいに、大事にしてる。優しいよ……」
「……ルリ……」
徐々に落ち着きを取り戻すと、ロミオは静かに一つ溜息を吐いて。
「……ごめんな、ルリも大変だったろうに……僕のお守りをさせて」
「……僕は……何よりも、君が居るから戦えるんだ」
「……私も」
顔を覗きこむようにして僅かに身を離すと、傷の走る左手を、ロミオの右手に重ねる。
奥底から繋がるような感覚。
「ロミオが、頑張ってくれたから。……ロミオがいたから、戦えた。……戦って、勝って、マリンを見送れた」
「……お疲れ様。ありがとう、ロミオ……」
重ねた手指を絡めて。
大きな安堵感に表情が緩む。
「……駄目だな。まだ全部、終わった訳じゃないのに……」
「……ルリが来てくれてよかった、って、そればっかり思ってる」
「ふふ。……嬉しい……」
額同士を擦り合わせると、はにかむように笑んで。
「……でも、そう、だね。……まだ、終わりじゃない……マリンに、リンにも、ちゃんとおかえりって言わなきゃ。……フレイさんも、大丈夫かな……」
「…………クロエさんは、一応無事……うーん……無事じゃない……うぅん……お義兄さんに怒られちゃうかも……」
「兄貴は大丈夫さ、きっと……クロエは、生きてるなら……あとは、何とかする……」
マクベスの顔を思い浮かべたのか、ロミオはあからさまに顔をしかめる。
「………それと」
「……レンと、セラフィナ……は……」
「……レンさんも。セラフィナも、すごくしぶとそうだから」
ルリの、珍しく、苦虫を噛み潰した顔。
「……きっとまた、現れる」
「……その時は、きっと……」
「……あの二人も、助けたい」
「今回は、この手が届かなかったから、だから……マリンさんを信じて待つ。そして、次の機会に懸けたい」
「……うん。…………」
「ほんとは、すごく怒ってるんだけどっ。……ロミオと……マリンが、許すなら、良いかな……」
「…………待つために。戻ろう、ロミオ」
「はは……ありがとう、ルリ……」
憤るルリに苦笑しつつ、ゆっくりと立ち上がってみる。
ルリの回復テクニックのお陰か、いくらか身体は楽になっていた。
「……じゃあ、戻ろうか。一緒に」
「……うん」
ロミオの様子を見守りながら、ルリ自身もゆっくり立ち上がる。
痛む足には力が入らず、不格好によろめきながら。
「……一緒に」
「……一緒にね」
ぐっ、ぐっと手を開閉し、力が入るのを確認すると、ロミオはそう言いながら、ルリをいつものように抱え上げる。
「あっ。あっ……!」
焦った声を上げるも、まさか暴れるわけにもいかず、ルリはそのまま縮こまって。
「ロミオ、まだ怪我が……」
「大丈夫、ルリのレスタのお陰でね。軽い軽い」
「こんな時にお嫁さんを運べないようじゃ、男が廃るよ……はは」
「……」
ロミオは僅かに口角を上げる。
が、歯を食いしばっているのが分かった。
覗き込んだ横顔に何も言えず、ルリは困ったように笑って。
「……優しいけど、意地っ張りな旦那様なんだから……」
その言葉に、嬉しそうににっと笑って。
ルリを抱きかかえたロミオは、よろよろとおぼつかない足取りで下層へのエレベータへ向かった。
- 最終更新:2017-11-12 23:31:30