Exceed! B

マリンとクロエが3人と別れた直後。
マリンは微かに不安を乗せた表情で、クロエは微笑みながら、去っていくその背中を見送った後、マリンが口を開いた。

マリン 「……それで、私にお話……というのは?」
クロエ 「……そうね。…お話……」
クロエ 「……何から、お話しようかしら。……」

小さく首を傾げ、唇に笑みを浮かべたまま、クロエの隻眼がじい、とマリンを見つめる。
マリンは僅かに不安をこめた視線を返して。

マリン 「彼らなら、問題ないとは思いますが…… …あまり、任務を任せきりにしたくはありません。」
マリン 「申し訳ありませんが、可能なら手短にお願いしたいのですが…」

その言葉に答えることはせずに、クロエが歌うように口を開いた。

クロエ 「……ねえ、マリンさん、貴女、何がお得意?」
クロエ 「お料理? お掃除? 事務仕事? それとも、アークスとして戦うこと?」
マリン 「…得意なこと、ですか? 私は………」
マリン 「……得意分野、と言うのなら。」
マリン 「料理にしても清掃にしても、人のために動いて働くことです。 今は違いますが、元々私はメイドとして育てられましたから。」
マリン 「…アークスとしては、先に行った皆さんと変わったところはありません。 ただの平凡な、どこにでもいるアークスです。」

唐突な質問に訝しげに眉を顰め、しばらく顎に手を当て考えていたが、やがてゆっくりとマリンが答えた。
クロエは足を止め、マリンを見て。口元に指を当てると、猫のような目つきだけが窺える。

クロエ 「……そう、メイドよね。……でも、平凡だなんて。」
クロエ 「ふふ、謙遜はおよしなさいな、メイドとしても、アークスとしても……いえ、戦士としても、というべきかしら?」
クロエ 「とっても優秀で、お強いでしょう? ねえ?」
マリン 「……何故、そんなことを? クロエさん… あなたとは、以前一度お会いしただけで……」
マリン 「…私のメイドとしての姿は勿論、アークスとしての姿もほぼ見せていなかったはずです。 それなのに… …あなたは、何を?」

まるで全てを知っているかのようなクロエの口ぶりに、マリンが更に深く眉を寄せる。

クロエ 「ふふ…ふふっ。 そう、そうね、驚かれるわね。わたしもまさか、本当に会うなんて思いもしなかったもの。……けれど」
クロエ 「そう、なんというか。……がっかりしたわ。 期待していた…というほどではないけれど、まさか、こんな」
クロエ 「つまらないものに囚われる、小さな子だったなんて。」
マリン 「…一体、何の話ですか……? あなたは… 私を、知っているのですか?」
マリン 「……もしかして、私がリュケイオンにいた頃に会ったことが…? 」

くすりと笑って肩を竦める彼女の全身を、注意深く観察する。もしかしたら、忘れているだけなのでは――。
そう思ってじっと見つめてみても、やはり覚えは無い。

クロエ 「……猫の目は、ひとの思いもしないところから、ひとを見ているものよ。まして貴女は木端の傍にいる者……」
クロエ 「ああ、ああ、出会いなんて、どうだっていいじゃありませんか? ねえ、そんなことより、きちんと答えてくださいな。」
クロエ 「もう一度聞くけれど。貴女の得意なことは、なあに? お掃除も、お料理も、お得意だけれど。ねえ、違うでしょう?」
クロエ 「……ふふ…本当は?」
マリン 「……何が……言いたいのですか。」
マリン 「私はアークス…… それ以上でも、それ以下でもない。 その何がおかしいのですか?」

今度は明確に表情を歪めて問い返す。自分でも、動悸が速くなっているのがわかる。
それはまるで、誰にも知られてはいけない自分の奥底をじっと覗かれているような感覚で。

クロエ 「……そうねえ、自覚がないのか…いいえ、見たくないのかしら。」
クロエ 「貴女、人の役に立ちたいと言っていたわよね? 人を助け、役に立つこと、それは、戦う人として武器を持つなら、強さでもある。」
クロエ 「では、先日の有様はなにかしら。 迷い、躊躇って、武器を下ろし。死にかける有様が、役に立っていると思うのかしら?」
マリン 「なっ…… ……そ、それは……」

遺跡で出会った時の失態――全て見られていたとは思っていなかった。
クロエの言葉を正面から否定することができず、曇った表情を俯けて歯切れ悪く返す。

マリン 「……私はアークスであっても、殺人鬼ではありません。 ……躊躇うことだって……」
クロエ 「ふ……ふふっ! 殺人鬼、ふふふ」
マリン 「何が……おかしいのですか……!」

ついに抑え切れなくなった苛立ちを表に出し、険しい表情で相手を見据える。 彼女が怒りを露にするのはそうあることではない。
対してクロエはさも愉快そうに、唇を抑え肩を揺らして笑っている。

クロエ 「そう……怯えているのね。……つまらない女。持つものを腐らせ、あまつさえその腐敗に自らを食わせている。」
クロエ 「愚かなことね。それが貴女の信念を邪魔しているというのに」
マリン 「……あ、あなたは……一体……」

ヒールをこつこつと鳴らしマリンに近付くと、自然な仕草で頬を撫で、にっこりと優しげに微笑む。
花のように美しい笑顔を間近で向けられているのに、何故か蛇に睨まれた蛙のように、身体が動こうとしない。

クロエ 「ねえ、しっかりなさって。怯えて目を塞ぐ子供のような真似。」
クロエ 「みっともないわ、ねえ、そうでしょう。折角持つ力を、どうしてお捨てになるの?……いえ、違うわね、捨ててなどいないわね?」
クロエ 「捨てられず、その力に血を湧き躍らせるのに、どうしてそれを認められないのかしら?消すこともできていないくせに、どうして?」
マリン 「……や、やめてッ!!」
マリン 「あなたに、私の何がわかるのですか… …何を知っているというのですか…!」
マリン 「私をからかいたいだけなら、先に行かせてもらいます… 彼らは、私を待ってくれているんですから…!」

青い三日月のような瞳を向けられ、冷たい汗が背を伝う。頭の中で警鐘が鳴り響いている。
ようやく動いた手でクロエを突き飛ばし、軽く距離をとって強引に話を終わらせ、逃げるように背を向けようとする――が。
ふっと笑顔を消し、氷のような無表情を向けられると、足は止まってしまった。
クロエはすぐにまた笑みを浮かべる。


クロエ 「あら、あら…まあ、お待ちなさいな。」
クロエ 「仕方ありません、それでも目を逸らすなら、わたしの宝物を見せてあげますわ。ほら…」

彼女はそう言って胸元に手を挿し入れると、小さなしゃらしゃらという音と共に、白い肌の間から金色に鈍く光るものを取り出した。
よく見るとそれは古いペンダントロケットで…… チェーンは千切れ、黒い汚れがこびりつき、彼女の私物としては不釣合いなものだった。
しかしそれがマリンの視界に入った途端、何が起こったのかわからないという様子で表情は凍りつき、その目を大きく見開いて、片言で口を開く。

マリン 「……え……? ……どう、して…… それは、おかあさん、の……」
クロエ 「うふふ……綺麗でしょう。少し汚れてしまったけれど……ばたばたしていてね、拭き取り損ねてしまって。」
クロエ 「ねえ、あんなに完璧そうにしていたあのひとも、わたし達と同じ、赤い血が流れているのねえ。不思議よね?」
マリン 「…何故、あなたがそれを…? いえ、あの方がロミオくんのお兄さんだというなら、」
マリン 「あなたが母と関わりがあっても、おかしくはない…… でも、どうしてそれを、あなたが……」
マリン 「母の行方は…… あの方でもわからない、って……」

目の前の人物が持っているのは、大好きな母親が肌身離さずつけていたペンダント。ここに存在するはずのない物。
小さくロケットに口づけ、懐かしむように優しい視線を落とすクロエに対し、マリンは立っているのもやっとだった。
口をぱくぱくと開き、絞り出すような声でようやく問いを投げている。頭に過ぎる最悪の可能性を、相手が否定してくれることを信じて……


クロエ 「ええ、わたしの主人はご存知ないでしょうね。主人はその場にはいらっしゃいませんでしたから。」
クロエ 「あのひとは、……ああ、本当はこれも、お家の恥になりますから、黙っていたかったのだけれど、木端から聞いているのよね?」
クロエ 「あのひとは、そう、次男様の折檻を……木端、いいえ、三男様の代わりに受けられ、そしてそのまま使い物にならなくなったのよ。」
クロエ 「要らないものは、捨てるに限る……そうでしょう。……かといって、あの方たちの手を汚すなど、とんでもない。」


その先は聞いてはならない―― 頭がそう告げているのに、口はぱくぱくと開くだけで何の言葉も出てこない。
クロエはペンダントを持ち上げ、頬に寄せながら。冷たい目でマリンを見つめにっこりと笑い、躊躇いなく続けた。



クロエ 「だから、片づけたのです。わたしが」
クロエ 「首を………(指先で、カタナの柄を撫で)………けれど、わたしも未熟だったわね。鎖は切れ、血がついてしまったわ。ふふ、残念」



身体は震え、深く項垂れるまま、もう声も耳に入ってこない。
一片の望みに縋り、掠れた声でぽつりと漏らした。

マリン 「……………」
マリン 「………うそ、ですよね?」
クロエ 「さあ、どうかしら? 嘘も本当も、この世にはないわ。真実かどうかなんて、人の中にしかない。そう思わない?」
クロエ 「それとも、まだ目を逸らし、怯えて震えるだけの、くだらない弱者でいたいのかしら?」

あの日突然いなくなってしまった母を、ずっと探してきた。 一時はそれだけが生きる意味だった。
その生きる意味を奪ったという相手が、今目の前で笑っている。

マリン 「……ゆるさない……」

俯いたまま小さく呟いた言葉に、クロエが黙ってにやりと目を細めた。

マリン 「あなたを、絶対に許さない…! その身を血に染めて居場所を奪われた痛みを知れ、人でなし……ッ!」

殺意を滾らせた、修羅の表情を上げる。 同時に腰の白い双機銃を抜くと、目の前の人物に対し欠片の躊躇いもなく引き金を引いた。
雨のような弾丸を足を捌き、バックステップを踏みつつ、目を輝かせ笑いながらクロエは弾丸を避けていく。

クロエ 「あははっ! やっとその気になったかしら? ほらほら、そんなものじゃないでしょう? 我慢しないで、こっちにおいでなさいな?」
マリン 「人の命を、拠り所を奪って、どうして笑っていられる!? あなたは―― あなただけは、絶対に……!」

動きを制限するために足元を掃射しつつ、風のような速さで接近する。
それに対しクロエは鼻歌でも歌いだしそうな涼しい顔で弾丸を避けきり、すらりと細いカタナを抜く。
資金距離で繰り出す、中型エネミーでも砕く必殺の蹴り―― それをカタナの柄で器用にいなし、すれ違うようにマリンの背後に回り囁いた。

クロエ 「ふふ、ねえ、「仲良く」遊びましょう?」
マリン 「くっ……!」

続けざまに、背後から放たれるフォトンの火弾。咄嗟に前に転がり込んで避ける。

マリン 「あなたにとっては、人と戦うのも殺すのも遊びなのか…!? 狂ってる、あなたはッ!!」
クロエ 「あらあら、酷い言い様…」

起き上がると同時に片銃を構え、クロエを狙う。が、その銃弾も簡単に切り伏せられてしまう。
そのまま地を蹴り、剣戟がマリンに迫る。

マリン 「許さない… 私が、絶対に…!」
クロエ 「そんなことばかり言って。鏡に喋っていらっしゃるの? ふふ」
クロエ 「戦うのを喜んで、「狂ってる」のは、貴女なのじゃなくて?」
マリン 「ぐ、っ……!」

明らかに劣勢だった。ステップで後退し剣戟を避けるのが精一杯で、反撃を差し込む隙がない。それどころか、いつの間に足場の悪い場所に誘導されていた。
更にクロエは闇フォトンの黒球を左右から迫らせ、正面から圧倒的な速さで突きを繰り出す。
剣は身を反らして間一髪避けたが、不安定な足場が祟り、黒球が足を掠めてバランスを崩してしまう。

マリン 「ち、違うッ…! 私は、あなたとは違う…! 戦いを楽しんでいるのは、「私」じゃ… 私じゃ、ないっ……!」
クロエ 「ふっ、かわいい言い訳ですわね?」
クロエ 「貴女の影も話には聞いているけれどっ、……それは貴女の心でもあるはずよ? 認めなさい、マリン・ブルーライン!」
マリン 「!っ……が、っ……!」

くるりと突き出した足を軸に回転し、遠心力を乗せた剣が振り下ろされる。
バランスを崩した状態では満足な回避行動も取れない。鋭い突きが肩を掠め、赤い鮮血が剣を染めた。

マリン 「ちが、う…… ちがう、ちがう違う違う違う! 私じゃない… 私は、あなたたちとは違うんだッ!」
クロエ 「動揺が引かないのねえ。」
クロエ 「それでは戦えないわ。認めたくないのなら、大人しく戦線から身を引き、ただの女中としてしがなく生きては如何? あるいは…」

痛みに歪む顔で、悲鳴を上げるように否定する。 不利な体勢を立て直すため地を蹴って空中に逃げ、上から双機銃を掃射するマリン。
しかし桃色の髪の毛を数本銃弾に引き裂かれながら、クロエは身に迫る弾丸を剣を円舞させるようにして弾き、つまらなそうに微笑む。
そして空中に向け、上向けた左の手のひらに花びらを吹くように息を吹きかけると、マリンの背後に高熱が集束していく。

クロエ 「ここで死んでくださるかしら?」
マリン 「――っ!! ……っぐ、ぁ……っ」

怒りに憑かれた頭は回避の判断を遅らせた。 炎のフォトンの爆発によりマリンは吹き飛ばされ、無様に地に転がる。
だが地に手をつき、荒く息を吐きながらも、彼女は片側の機銃を向け食い下がった。

マリン 「……あなたは……私が……っ」
クロエ 「……はあ。覚悟がつかないなら、私が戦えない体にしてあげようかしら?」

弾丸がスカートの端を裂くのも意に介さず、冷めた顔でクロエはマリンに歩み寄る。
そして黒いブーツに包まれた足で、向けられていた片銃を蹴り飛ばした。

このまま剣を下ろされれば、それで終わり。


「(……強い……)」


今までにここまで追い詰められたことはなかった。
戦いに身を置くアークスという立場にありながら、どこかで物足りなさを感じていた。


「(……この相手になら…… 私は……!)」


――全力をぶつけることができる。
全身の血が沸き、固く結ばれていた口元が三日月のように歪められた。
残った片銃を地に放り捨てると、新たに青と赤、二振りの飛翔剣を抜く。

マリン 「はぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
クロエ 「……、…!」
クロエ 「…その必要はなくなったかしらね」

瞬時に展開された6本のフォトンブレード。
続けざまに正確な狙いで放たれた光刃を、クロエは振りかぶった剣を素早く体の前に翳し、防ぐことになった。
防ぎ損ねた一本に裂かれた頬から、一筋の流血が伝う。

マリン 「…あなたを、殺す… 簡単に倒れることは許さない…!」
クロエ 「……、…っ、……ふふっ、そうよ、やっと、本当の顔を見せてくれる気になったのね…っ」

殺意を湛えた琥珀の眼と、楽しげに微笑む青の隻眼が交差する。
高い金属音を響かせ、剣と剣が何度もぶつかりあう。マリンが振るう二振りの飛翔剣は、確かにクロエを追い詰め後退させていた。
押されるクロエは、ぐっと大きく弾き返し一度距離をとり、そこに再び炎による爆発を起こして立て直そうとする。

マリン 「御託はもう、たくさんだッ!」
マリン 「殺す… ここであなたを殺す! この手で、この剣でッ!」
クロエ 「っ! あら、…っあら! 淑女らしく、ない、わねっ!」
クロエ 「……っく……ふふ、…っ、強いじゃない、やっぱりね…っあのひとのこどもが、脆弱なはずないもの……ね!」

マリンはそれに怯まない。 氷のフォトンを纏わせ即席の鎧を成すと、迷うことなくその爆発の中に突っ込み、空いた距離を一気に詰める。
爆発の衝撃を殺しきれずに体が傷つくのも意に留めずに斬り込むと、流石のクロエも笑みを浮かべる唇を微かに引き攣らせた。

目にも止まらぬ、という表現が相応しい神速の剣戟。躱し流すクロエでも全てを防ぎきることはできず、体の各所に傷を生む。
それでも針を通すような僅かな隙を見定め、同様に神速の突きで反撃すれば、マリンのほうも各所を剣が掠め、服を血で赤く染める。

マリン 「…っ、……! 私は、あなたのような殺人者に負けるわけにはいかない…」
マリン 「その首で罪を償え、人でなしッ――!!」

幾度も剣を合わせ鍔迫り合いの後、マリンがクロエの足に蹴りを入れ、一度距離をとる。
そして片手の剣を突き上げると、蹴りの痛みが響くクロエを無数のフォトンブレードが取り囲んだ。

クロエ 「うッ、ぐ……っ、…!!」

判断は一瞬、行動は迅速。 咄嗟に急所を守り、数個の小さな火球で攻撃を軽減するが、雨のように降り注ぐ光剣を防ぎきることはできない。
手足や肩が切り裂かれ、常に余裕の笑みを絶えさせなかったクロエの唇がついに痛みに歪む。

マリン 「覚悟――!!」
クロエ 「…っ」

赤と青、二つの飛翔剣を連結させれば、それは両剣の形を取る。
光剣に裂かれた体を抑えるクロエに、決定的な殺意と共に距離を詰め両剣を振りかぶる。
クロエは咄嗟に反撃の態勢を取るが、剣が迫る瞬間僅かに動きを止め、唇を釣り―――


―――マリンの両剣が、深々とクロエの脇腹を貫いた。



クロエ 「ぐっ!……あぁッ…!!」
クロエ 「…うっ、あ…ゲホッ……」
マリン 「……はぁっ、は…っ、はぁ…っ」

勢いよく剣を引き抜くと、大量の出血と共にクロエが地に背を叩きつけられ、咳き込むと同時に吐血する。
刺し貫いたマリンの方も到底五体満足とは言い難く、体の傷を抑えよろめきながらも、ゆっくりと剣を下ろし倒れたクロエに歩み寄る。

マリン 「……最期の言葉程度なら、聞きますが…?」
クロエ 「は、…は、……っ、う…う、」
マリン 「……?」

腹部や口元を血の紅で汚し、悲痛そうな顔で剣を離した手を伸ばすと、力なく伸ばした指先でクロエはマリンを手招きする。
声が出ないのかと考えたマリンだが、剣を放し反撃の余力もないことを確認すると、素直にクロエの傍らで片膝をつき、その顔を覗き込んだ。

するとクロエの弱ってしおらしい様子が一転し、にんまり笑ってマリンの襟元を力づくで引き寄せ、顔を寄せる。

クロエ 「…は、ぁ…っ」
クロエ 「…ふふ、ふっ……イイ、顔だわ…」
クロエ 「………素敵よ、貴女…それでこそ、貴女の姿…力を、持つ……本当の、……っ」
マリン 「……っ、……え……?」

痛みに眉をひそめ額に汗を浮かせながらも、荒い呼気を甘く吐き、艶然と、まるで睦言を囁くように。
血塗れの手をマリンの頬に寄せ、その唇を親指でなぞり、真っ赤な血のルージュを引いて。
それに釣られるようにして、マリンの指も自らの口元に触れると――

――それは確かに、歪な三日月。 醜い愉悦の笑みの形だった。


マリン 「ど…… どう、して……?」
クロエ 「く、く……ふふっ、……はは…ぁ、…ッ、貴女、ずっと、笑って…いたわ。ねえ、わたしの、体、こんなに…して」
クロエ 「……人を、傷つけて…笑っていたの、貴女、よ?」
クロエ 「…「笑顔は、女の武器」……ねえ、もう、逃れられ…っない。…あ、なたの……ッ本性…」

そう、マリンはずっと笑みを浮かべていた。
光剣でクロエをずたずたにする時も、逆に身を裂かれ血を流す時も、そして――クロエの脇腹を貫き地に下す時も。
血を吐きながら嘲笑するクロエに対し、マリンが自分の体を抱くようにしてがたがたと震えだす。

マリン 「…う… うそ… 嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘ッ!! 違う、私はそんな…違う、違うのッ! 笑ってなんかいない、楽しんでなんかいない!! 」
マリン 「ねぇ、嘘なんでしょう!? 私が、笑っていたなんて… ただの嘘なんでしょう、ねぇっ!!!」
クロエ 「……言ったでしょう、っ、嘘も…本当も」
クロエ 「人の中にしか、ない……貴女が、触れ…た、唇……っ貴女が目を逸らす、その、感覚、こそ、…貴女の、……ッ真実…」

クロエ 「……鏡に、罵倒していたのは、貴女よ…ッ」


慈愛のような声音で囁かれた真実。
それはずっと、自らの影と本性を否定し続けてきたマリンに両膝をつかせるには十分なものだった。
光の消えた、生気のない眼が見開かれ、頬を涙が伝う。

マリン 「あ…… ……あ……」
マリン 「……いやあああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」

絹を裂くような悲鳴が木霊する。
両膝をつき、深く項垂れ、ぴくりとも動かなくなったマリン。

だが、それだけではない。 二つに結った金糸の髪が、徐々にその色を失っていくのが、倒れ伏すクロエの視界の端に見て取れた。

クロエ 「……? あ、なた…」

倒れてなお余裕の笑みを浮かべていたクロエが、訝しげな表情になる。
やがてマリンの髪が完全な灰色になると、今度は少しずつ赤く色づいていくのがわかった。

髪が燃えるような緋色を得ると、彼女はゆっくりと立ち上がり、気だるげにその眼を開く。
その色は、やはり髪と同じ緋色だった。

マリン 「……面倒なことをやってくれたわね、仔猫さん。」

明らかに先程とは違う語調で、マリンがクロエを見下ろす。
その表情や言葉には抑揚がなく、一切の感情が感じられない。

クロエ 「…ああ、!…成程」
クロエ 「影という、やつ…ね。調べた、ときに、…っ、見たわ。……マリンさんはどう、したの、かしら。泣いて、帰っちゃった? ふふ…ッ」
マリン 「そんな可愛いもので済めば良いけどね。 アンタは楽しくても、わたしは地の果てまでがっかりよ、ったく。」

荒い息のまま見上げるクロエが場違いなほど明るい声を出すのに対し、マリンの声色は吐き捨てるようなものだった。
そのまま無表情を崩さず、片手の両剣を振り上げる。

マリン 「さて、改めて言い残すことはあるかしら?」
マリン 「アンタの飼い主に会ったら、伝えてあげないこともないけれど。」
クロエ 「……はは…なにも。猫は、ひっそり、黙って…消えるものだもの」
クロエ 「…あと、は、彼女次第……殻を…破るか、……沈んでいくか……、…残念だ、た、わね、影さん……」

マリンの腕が下ろされればそれでクロエの命は終わる。にも関わらず、彼女は最後までくすくすと笑い声を上げたまま。
その言葉に、マリンが微かに緋眼を細めた気がした。

マリン 「――そう。それじゃ、後は庭にでも埋めてもらうだけね。」
マリン 「さようなら、悪戯好きの仔猫さん。 アンタみたいな馬鹿な嘘吐き、嫌いじゃないわ。」


抑揚のない声と共に、赤と青の双刃剣は降ろされる。


  • 最終更新:2015-06-18 02:23:08

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