Closed Eyes

シャーレベン・リヒャルダラボ。
研究室の玄関を、大柄の男性がくぐり室内に姿を見せる。
そして、その斜め後ろに続く金髪の女性―――

フレイ  「大丈夫か? マリン」

今日何度目かになる、気遣いの言葉。
対してマリンは、僅かに口元を笑みの形に緩め、困ったように眉を下げた表情で応える。

マリン  「……はい。 私は大丈夫です。 ……それよりも、荷物…… ありがとうございます。」

拠点に直接襲撃を受け、マリンが負傷してから数日。
治療と、再度の襲撃を警戒して保護下に置く目的を兼ね、マリンはしばらくラボのクリニックで暮らす事となった。
荷物をまとめたボストンバッグを、フレイが片手に持っている。

フレイ  「マリンの体調が悪くなくたって、荷物を運ぶのは男の仕事さ。…気にしないでくれ」
フレイ  「とにかく……こんなところで立ち話することもないな。さあ、こっちだ」
マリン  「は、い…… ……あ、…………」

クリニックに促すフレイの背中に、マリンが続こうとした時だった。

前兆もなく、唐突にがくん、とマリンの膝が曲がる。
前触れなしに床に手をつきかけたマリンを、しかし素早く振り向き手を伸ばしたフレイが抱き支えた。

フレイ  「っ…やっぱり、危ないな。……ちょっと我慢できるか?」
マリン  「…………え、あ…………」

言うが早いか、フレイは鞄を肩にかけると、容易くマリンを抱き上げる。
体が浮き数秒固まっていたマリンだったが、状況を理解した途端びくり、と身が跳ねた。

マリン  「あ、あの…… 重い、です、よ……?」
フレイ  「重くないって。……前にもやったな、このやり取り。また……、……」

腕の中で、薄く朱に色付いた頬を背けたマリンを見て、フレイが表情を緩める。
何かを言いかけて、結局口を閉ざすと、丁寧ながら素早い足取りでクリニックのベッドへ運んだ。

マリン  「す、すみません……。 ミス・リヒャルダによると、症状を抑える薬品の開発は可能ということらしいのですが……」
フレイ  「薬、か。……マリンが望むなら飲めばいいし、そうじゃないなら、飲まなくていいさ。不自由があるなら、なんでも手伝うから。な」
マリン  「……すみません。 何から何まで……」
フレイ  「マリンだって、何から何まで……面倒見てくれただろ。お互い様だよ」

ゆっくりと、丁寧にマリンの身体をベッドに下ろすフレイ。
続くようにベッドの脇にしゃがむと、マリンの片手を優しく握る。
それに応えるように、マリンももうひとつの手で握り返した。

フレイ  「何も、気にしなくていい。悪いとか、申し訳ないとか……。ただ、……元気になってくれれば、それで」
マリン  「……すみませ…… ぁ、……ありがとうございます……」

何度目かの謝罪を口にしかけ、顔を俯けベッドに腰かけるその姿は、これまで何度も戦場を潜り抜けてきたアークスとは思えない程力なく、しおらしく、小さく見えた。
フレイは気遣わしげにその姿を眺め、言葉を探すものの、結局何も言葉をかけることはなく。

代わりに立ち上がり、空気を変えるように明るい声で切り出した。

フレイ  「まあ、マリンは働き者だからな、たまには休むのもいいさ。 何か飲むか? ここのコーヒーメーカー、結構優秀なんだぜ」
マリン  「あ……」

返事を聞く前に、ベッドの並ぶエリアを出てコーヒーメーカーへと歩み寄っていく。
その遠ざかる背中に、無意識によるものか、下げていた片手を伸ばしてしまうマリン。

それをそそくさと下げると、やはり力なく苦笑する。

マリン  「……では、ミルクを少し入れて頂けますか……?」
フレイ  「ああ、わかっ………」


その時、ラボ入り口のインターホンがひとつだけ鳴る。
続いて平手でドアを叩いているのか、ばんばん、と軽い衝撃音が玄関から聞こえた。


フレイ  「……ま、来てくれただけ感謝するべきか。マナーには目を瞑ろう」
マリン  「フレイさん……?」

玄関の方角と、フレイの様子を順に見て、首を傾げる。

フレイ  「お客さんだよ、俺が呼んだんだ。ちょっと待っててくれな……」

疑問の表情を浮かべるマリンに、フレイが苦笑で応えつつ玄関に向かう間にも、ドアを叩くばんばん、という音は響き続けている。

そして辿り着いた玄関でドアを開けると、小柄な少女が、木苺色の丸い瞳でフレイを見上げた。

フレイ  「悪いな、来てもらって。思ったより早かったが…迷わなかったか?」

甘い匂いを漂わせる袋を片腕に抱きながら、眉根を寄せ首を傾げる少女は、マイカ。
フレイとマリン、ひょんな事から出会った共通の知り合いだった。

マイカ  「特に。あんまり来ないところだけど。病院?」
フレイ  「うちの団体のリーダーが持ってる施設だ。クリニックは一応、非所属者にも開放されてる。遠慮しないで入っていいぞ」
マイカ  「そう」

ドアを押さえるフレイに促されるまま、言われた通りの無遠慮さでクリニック内に入っていくマイカ。
クリニックのベッドでは、マリンが玄関の様子を気にしていた。

マリン  「フレイさん? 一体どなたが……」
マイカ  「また具合悪いの」
マリン  「……ま、マイカさん……!?」

唐突に現れた客人に、マリンは目を見開く。

マリン  「す、すみません、こんな形でお迎えすることになってしまって…… 何か料理を作りたかったのですけど、……あはは……」
マイカ  「…………次にしとく」

覇気のない笑みを向けるマリンに訝しげな顔をしながら、その傍ら、ベッドの脇に腰かける。

フレイ  「……マリンの体調が、少しおかしいだろう? あいつの…スコールたちの話もあって」
フレイ  「外傷から来ているものだとか、単純な病気……というよりは、もっと。……フォトンに関係したものだと思ったんだ」
フレイ  「それなら……マイカが適任かな、とな。俺も“視られた”ことあるし」
マイカ  「……」

フレイが、コーヒーの入った二人分の紙カップを運びながら説明する。
マリンの身体の異常を探るには、とフレイが打った手の一つだった。

カップを受け取りつつ、マイカがじっと話を聞いている。

フレイ  「マリンさえよければ、だけどな。……でも、できれば診てもらってほしい」
マリン  「……そういうこと、でしたか…… ごめんなさい、私のためにここまで……」

と、何度目かもわからない謝罪をマリンが口にした時、その腿をべし、とマイカの手が叩いた。

マリン  「うっ」
マイカ  「すぐ謝るひときらい」
フレイ  「……、……よく言った」
マリン  「す、すみま…… ……えぇ、と……」
フレイ  「マリンは、謝るの癖、だなあ」

ベッドの端に同じように腰かけ、フレイが苦笑を漏らす。
ふん、と鼻を鳴らしたマイカは、持ち込んできた袋を下敷きにして、中身のカップケーキを広げる。

マイカ  「みるだけでいいの?」
マイカ  「……みても、いいもの? 医者にはかかってないの?」
フレイ  「リーダーが医者でもあるから、医療的な部分は……まあ、問題ないはずだ。一応、リーダーに確認も事前に取ってある」
フレイ  「正直、あまりにもヒントが無さ過ぎて、参ってるんだよ。……今敵対している奴らが一貫して主張しているのは……マリンがこのままだと危険だってこと、だけだ」

重く、苦い表情を、コーヒーの入ったカップを手で包みながら、マイカがじっと見ていた。

フレイ  「信じたくはなかったが、実際彼女には不調が出てる。…少しでも状況を理解したいんだ。……手伝ってくれるか?マイカ」
マイカ  「…………」
フレイ  「もしもマイカが治せるっていうなら、治してくれれば万々歳だけどな?」
マイカ  「……あたし、医者でも産婆でもないから」

つん、と顔を背けつつ、マリンの顔に目をやるマイカ。
そして、カップを置くと、唐突に手をマリンに伸ばし、頬や首などの柔らかな肌に触れる。

マリン  「ま、マイカ…… さん?」

フォトンの感応力、同調力に優れるマイカは、直接触れることで相手のフォトンの状態を感じ取る事ができる。

指先から伝わるのは、静かに波寄せる、海のようなマリンのフォトン。
マイカは励起とも呼べない程度の、微弱なフォトンの揺らぎを発することにより、それを探る。

マリン  「ん……、ふ……ぁ……?」

静かな海を、音波を響かせるようにして探る最中、不意にマイカは空白を感じ取る。
まるで本来無くてはならないものが欠けているような――― 不自然な空白、虚数。
間違いか、失敗かともう一度触れてみるが、やはり抜け落ちた「何か」がある。

マイカ  「……」
フレイ  「……どうだ?」

困惑に眉尻を下げながら、そっと手を離すマイカ。
真剣な表情で、フレイが結果を尋ねる。

マイカ  「…………。無いところがある。……欠けてる、って、いうか、全部、揃ってない、っていうか」
フレイ  「……、………その穴が不調の原因なのか?」
マイカ  「……分かんない。ただ、無い。虫食い……もっと、ぽっかりしてるかも。……」
マイカ  「あんたは、何かないの。特に力が出しづらいとか」
マリン  「わ、私、ですか……?」

何らかの異常がある事は把握できたが、まだ手がかりとしては弱い。
少し温くなったコーヒーを舐めつつ、マイカが当事者であるマリンに尋ねる。

マリン  「そ、そう、ですね…… 今まであまり気にしたことはなかったのですが……」
マリン  「なんと説明すれば良いか…… 力やフォトンを使おうとした時に、当然あると思っているそれがいつの間にか無くなっていた、というか…… すみません、この表現で適切かわからないのですが…… 最近、そういった感覚になることは、ありました。」

フレイ  「……どこか痛むとか、苦しいとか、そういう不調じゃない…… んだよな?」
マリン  「……はい、苦痛はありません。 ただ、何かが抜け落ちていくような感覚、というのでしょうか……」
フレイ  「……つまり、今は……そうだな、身体のどこかを欠損している状態に似てる…ってことなのかもしれない」
フレイ  「損なったことで、今までと同じように動かそうとすれば、バランスを崩す…か……」

真剣な顔で考えを巡らせながら、フレイがマリンの指先を握る。

マイカ  「でも、何で? 誰かにとられたの?」
マリン  「あ…………」

マイカの言葉に、マリンが瞳を伏せ、フレイが握る指先を見つめた。

マリン  「……とられた……、というわけではなく……」
マイカ  「? ……どうにか埋まらないの、それ。別の何かで替えがきくのかは分かんないけど」
フレイ  「……本当に身体の欠損と同じなら、埋めるなり、慣らすなり…力加減を覚えれば、元の状態に戻れるだろうけど」
フレイ  「…命の危険がある、と言うくらいなのだから……そうではない可能性も十分あるよな。」
マリン  「別の何かで……。 代用できる、のでしょうか。 ……マイカさん、もし良ければもう一度、試してみて頂けませんか?」
マイカ  「ん?」

マリンに頼まれたマイカは、手にしていたカップを床に置くと、再度マリンの喉元やうなじに触れる。
僅かに水面が波立ち、波紋が広がるように、フォトンの薄い振動がマリンを伝っていく。

今度はマリンも瞼を閉じ、マイカの手をはっきりと受け入れた。
それによってか、気を研ぎ澄ますと、先程の空いた空白にノイズのような、微かな赤い残滓を感じ取ることができる。

そして、更に全体に気を向けると。
皹入ったガラスから、一滴ずつ漏れていくように、僅かずつ、フォトンの水が漏れ出していくのがわかった。

一年後か、一ヵ月後か。絞り込むことは難しいが、何れにせよ遠くない未来、全てが失われる―――

マイカ  「…………ぁ」

マイカが小さく声を上げた。
思わず、マリンを包む手にぎゅう、と力が篭る。

マリン  「ん……、ん……? ……マイカ、さん……?」
マイカ  「……」

マイカの様子に気付き、眼を開けるマリン。
しかしマイカは押し黙ったまま、フレイに視線を移す。

フレイ  「……どうした」
マイカ  「…………」
マリン  「……マイカさん? …………らしくないですよ? 一体、何が……」
マイカ  「……」

なかなか話し出そうとしないマイカに、フレイの表情も曇る。
詰まる息を一度飲み込んで、ようやく口を開いた。


マイカ  「…………フォトンが、漏れてる。……このままだと、全部……」

マリン  「…………失われる、と?」

頷くこともできず、ただマリンに触れる手に力を込めるマイカ。

フレイ  「……、……リンが居ないから、なのか……?」
マイカ  「今すぐじゃ、ない。でも、いつかは、分かんない。……穴の周りに、変な……ええと……何か、赤い……」
マイカ  「……ダーカーみたいに、変な色じゃないかも。もっと……赤、って感じの……あんたは水なのにね。そこだけ違うみたい」
フレイ  「……まさか、リンが僅かでも防いでくれてるってことか……?」
マリン  「…………」

静かに瞼を閉じるマリン。

マリン  「……そう、なのかもしれません。 ありがとうございます、マイカさん。 これで…… 自分の状態が、少しは把握できました。」
マイカ  「……リン? 誰?」
マリン  「……私の、友人、……です。 わけあって、今は……ちょっとだけ、いないのですが……」
マリン  「……きっと、また帰ってくると思います。」

明らかに無理をしている、危うげな微笑を返す。
それを見たフレイが、ぴくりと指先を揺らすが、何も口にすることなく唇を引き結ぶ。

マイカ  「…………そう」
マリン  「……きっと、大丈夫です。 まだ、普通に生活できるレベルではありますし……」
マリン  「猶予があるなら、きっと方法も見つかる……はず、ですから。」
マイカ  「……他の誰かが干渉できるなら、もしかしたら」

さしものマイカも、不安げに瞳を伏せる。
それから、硬い声でフレイが口を開いて。

フレイ  「でも、さっきも……。何か、漏れていくフォトンを補う方法はないのか…」
フレイ  「……俺のものでも足しになるなら、いくらでも渡すってのに」
マイカ  「……できないの、それ。塞げないなら、漏れるより多く補給するとか」
マリン  「そ、それは…… ……現実的でない、と思います。」
フレイ  「……、……俺が、フォトンコントロールが上手ければまだ、手があったかもしれないのにな。」
マリン  「そ、そんな、フレイさんは何も悪くありません! で、でも、私のためにわざわざ補給だなんて……」

その時、マイカが再びべしん、とマリンの腿を叩いた。

マリン  「ひぁっ」
フレイ  「……可能なら、俺はそうしたいんだ。俺が、そうしたいんだ」
フレイ  「もう、自分の無力を思い知りながら、大事にしたいものを失うのは嫌なんだよ。…だから、できることはなんだってしたい」
フレイ  「……本当に、不可能なのか?」

再びマリンの指先をとり、フレイがじっと真摯な瞳を向ける。
その横で、二人の動向を見守っているマイカ。

マイカ  「……絶対無理な話ではない、と、思う。んだけど。……リン? の干渉もあるし」
マリン  「……わかりません。 後でミス・リヒャルダに本格的に検査をお願いすれば、何か……」
マリン  「……わかるかもしれませんが。 現状、その手段が私にはありませんし……」
マイカ  「じゃあ、早くしてもらって。……二度と、わざわざとか言わないで」
マリン  「……すみま…… あ、ありがとうございます……」
フレイ  「……すぐ謝る癖も、治すか。控えめなのはマリンの可愛いところでもあるけど」
フレイ  「どうせなら、ごめんじゃなくて、ありがとうって言われたいしさ。……俺も」
マリン  「……は、はい……。 努力……します。」
フレイ  「……今度は、…果たせない約束に、ならないように。……絶対、……」

そこまで言うと、マリンの手を握ったまま黙り込んでしまう。

それぞれが、この先の未来に不安を抱えたまま。
リヒャルダラボ、クリニックでのひとときは過ぎていった。

  • 最終更新:2017-02-20 23:19:47

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