Blue Destination 1

時は一行のリュケイオン出発前、場所はリヒャルダのラボに隣接するクリニック。

薬品と珈琲の香りの入り交じるそこには、今は人影は殆ど無い。
小さな物音をたてるのは、ベッドに座る金髪の女性―――マリンと、その胸元に聴診器を当てるリヒャルダだけだった。

「……うん、相変わらずねぇ。身体機能は緩やかに衰弱していってる。この身体で本当に戦いに行く気なの?マリンさん」
「はい。……これは、私が行かないと意味が無い事なんです。可能性がどれ程0に近くても、撤回する気はありません。」

聴診器を離しながら、眼鏡の奥の読めない瞳がマリンを眺めた。
それに応えるマリンの表情は、静かな水底のように凪いだまま。

「たとえそれで、あなたが大事にしたいものと、お別れすることになっても? ともすれば一週間後には、いいえ、運が悪ければ明日にでも、歩くことすら難しくなるかもしれないのに?」
「……だからこそ、です。これが運命なら、乗り越えなければ私は先に進めない」

リヒャルダが僅かに首を傾げると、室内の照明に照らされる角度が変わり瞳が光る。
微かな微笑みを口角に乗せたまま、試すような眼がじっとマリンを見ていた。

「私は逃げません。大切な人達が私を信じてくれるなら、全てを掴み取って見せる」
「………」

ふ、と音無く唇を歪ませるリヒャルダ。
踵を返し、コーヒーメーカーの前まで行って操作しながら、何事もなかったように喋りはじめる。

「マリンさん、お話を読むのは好き?」
「……? …………はい、本はよく読みますが……」
「世界には沢山の物語があるわねぇ。マリンさんはどんなお話が好きかしら?」

のんびりと話す声と、こぽこぽと湯を注ぐ音が、広いクリニックに揺蕩う。
リヒャルダの真意を掴みかねるマリン。訝しげな表情を浮かべていたが、素直に質問に答える。

「…………私は、幸せな結末を迎える物語が好きです。 悲しい物語を読むと、こちらも悲しくなってしまいますから」
「そうなの。優しい子なのねぇ、マリンさんは」

「でもねぇ、現実は幸せな結末ばかりじゃないわ。悲劇の方が多いくらい。わかっているでしょう?」

片手にコーヒーカップを持ちながらゆっくりと戻ってきたリヒャルダが、もうひとつの手を差し出すと、そこには手のひらに収まる程の、小さな白いケースがあった。

「本当に覚悟があるなら、この手を取るのよ。ほんの少しでも迷いがあるのなら、お互いのためにはならないけどね。」
「さァ、どうするの?」

僅かな間黙ってリヒャルダの手を見下ろしていたマリンだったが、すぐにそのケースの上から自らのてのひらを重ねた。

「もう迷う事はありません。大切な皆さんが、私に教えてくれました。たとえ結末が悲劇であっても、私はそれを捻じ曲げに行くだけ」

その言葉ににこっと笑い、リヒャルダはマリンの手にケースを握らせる。
マリンがそれを開けば、中には無色透明の液体の入ったごく小さな注射器。

「それじゃ、契約成立ねぇ。これをあなたにあげる、マリンさん。あなたがどうしても、何を引き換えにしても、立ち上がる力を……“二本の足”を求めるならば、それを使うといい」

マリンにウィンクを飛ばして朗らかに言うと、白衣を翻して踵を返すリヒャルダ。
その背に何か言おうとしたマリンだったが、その前にリヒャルダが続けて口を開く。

「あなたたちの作戦が成功するように、微力ながら祈っているわ。キャンプシップの準備もしておきますからね。…………ああ、そうそう」
「入院中、手持無沙汰でしょう?クリニックの本棚に色々あるから、暇つぶしにでもどうぞ。子供向けの本が多いけど、そこはご愛敬ね?」

愉しげに笑い声を漏らしながら、ひらりと後ろ手に手を振る。
すぐに自動ドアに阻まれて、その後ろ姿は消えた。

「……、…………」

マリンだけが残され静寂の訪れたクリニックで、ちらりと本棚に眼を向ける。
白いケースを閉じると、決意を込める様に胸の前で握り締めた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




深い夜闇を、紅い刃の一閃が駆け抜けた。

高い外灯がずるりと中心からスライドした後、ゆっくりと崩れ爆ぜる。
その残骸を、機械的な、一定の歩幅で踏み越える人影がある。

ひらりと翻る神秘的なドレス。
赤い髪、赤い瞳。
その右手に持つ、紅玉を刃にしたような剣。

武器を振るう戦士としては、およそ似つかわしくない出で立ちの少女。
だが、その背後に続く凄惨な破壊の爪痕は、全て彼女によるものだ。
虚ろな赤の瞳は常に正面だけを見据え、全く同じ間隔で前へ前へ進み続ける。
人と言うよりは、人の形をした破壊、その概念そのものと言えた。

行く手を阻む障害物全てを破壊し、なお前へ進む赤い少女。
その姿勢が、突然低く伏せられた。

刹那、伏せた頭上すれすれの所を、飛翔剣が一閃していく。
ずざ、と地を滑り着地する襲撃者――――マリン。
正面だけを見据えていた赤い少女の瞳が、初めて動きマリンの姿を視界に入れる。

「…………そんな顔をしていたのですね――――リン」

立ち上がり、赤い少女リンと対峙するマリンは、外灯で薄く照らされたリンの顔立ちをまじまじと見据える。
全く見分けがつかないとまでは行かないが、マリンのそれと比べそっくりと言えるだろう。
髪や瞳の色を揃えれば、双子だと言われても違和感は無い。

「今になって、はじめて知るなんて…… 少し、変かもしれませんね」

くす、と微笑みかけるように笑みを浮かべながらも、戦闘態勢で剣を構える。

今の奇襲は、マリンの全力を注いだ紛れもなく本気の一撃だった。
事実として、リンの回避行動が僅かでも遅れていたらその首は飛んでいただろう。
最低限その程度の覚悟が無ければ、彼女を止める事など夢のまた夢だと、直感が教えてくれる。

「…………」

自分がわかるか、と問いかける事はしなかった。
今の彼女と語り合う手段は、剣を交える以外に存在しない。
感情や意志など微塵も感じない、その無表情と真っ向から対峙する。

「……行きます!!」

言葉に応えるように、二人が同時に地を蹴った。
ガキン、という高い金属音。直後に、二人は位置を入れ替わる形で着地する。

「…………!」

はっとするマリン。だが即座に、振り向き二撃目の剣を振り抜く。
同時に交わる剣と剣。キン、キン、と、眼で追う事すら難しい疾さで二人の剣が激突する。

やはり、強い。
同じ身体にいた以上、リンとは戦った事どころか話した事すら無いが、戦闘におけるセンスで自分を遥かに凌駕しているのは初めから知っていた。
今は意志も感情も奪われてしまっている為、本来の力はこれ以上なのかもしれない。
だが実力以上に、彼女と剣を合わせながら、別の思いがマリンの頭に浮かんでいた。

「(……リンの打ってくる手が――――ある程度、読める)」

リンの剣の速さは、本来であればマリンの反応速度を超えるか超えないか、すれすれの所まで達していた。
しかし事実として、マリンは彼女と互角に切り結んでいる。

本来であれば良くて防戦一方、それが互角の戦いになっている理由は、どういうわけかリンがどんな攻撃をしてくるかが読めるからだ。
どこを狙ってくるか、どのタイミングで剣を振るうか。直感で、それを悟り対応できる。

リンが赤い剣を一閃した。
血の三日月のような地表を抉る剣撃波が、当たれば間違いなく真っ二つになるだろう破壊力で放たれる。
その横すれすれを抜け、肉薄するマリン。
余程死への恐怖が薄いか、予め攻撃を予知してでもいなければ、これだけ無駄のない回避はできない。

同じ肉体という、何よりも近く、そしてある種何よりも遠い場所にいた二人。
その二人の間にだけ存在する、共鳴のような感覚が働いているのかもしれない。
事実マリンだけではなくリンの方も、マリンの攻撃を予知しているかのように避けている。

そして、それを感じ取れるという事は。
意志と感情を奪われていても、紛れも無く自分と共にいたリンその人だ、と確信する。

であれば、自分が為すべき事はひとつ。
今持てる全てをこの二つの剣に懸け、打ち勝つ事で彼女を取り戻す。
リンの意志が本当に戻ってくるかどうかなど、今考える必要も余力もない。

「…………誰にも、邪魔はさせない」

ほんの微かに、口角を上げる。
切り結ぶのが、一対一で彼女と剣を競うのが、とても心地良い。

「どちらかが倒れるまで――――お互いの全てを、出し切るまで」

こんなにも楽しい闘いは、はじめてだ。
だからこそ。片手の剣を突き付ける。
自らの全てをぶつけて、眼前の敵に打ち勝つ。

「さぁ――――はじめましょう、リン!!」



  • 最終更新:2017-09-30 22:10:40

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