空を見上げて 2
血の軌跡が羽根のように散らばっている。
それもある一点からぱたりと途絶えて、その先を行くのは引きずるような足音と寄り添う二人分の影だった。
照明の落ちた塔の暗闇から、昇る朝日を目指している。
やがてロミオの金の髪が、ルリの青緑の双眸が、光を反射してそのかたちを露にした。
塔の外は、傷つき疲れた体には少し肌寒い。
リンの破壊が齎した、積もった瓦礫を横切りながら、ルリの小さな身体をロミオが抱き上げて進む。
ルリ 「…………大丈夫? ロミオ……」
ロミオ 「平気さ、ルリ。僕の事より……」
ロミオ 「マリンさんや兄貴達は、大丈夫なのかな……」
ルリ 「……きっと、大丈夫」
ロミオもルリも満身創痍―――と言うより、見える範囲の怪我であれば明らかにロミオの方が手酷いのだが、ルリを抱く腕の力が弱まる事はない。
胸の中のルリがロミオの首へと差し上げた腕に、微かに力を込めた。
ルリ 「……マリンたちなら……」
ロミオ 「うん……そうだよな。そうでなくちゃ……」
改めて周囲を見渡す。だが、視界に入ってくるのは瓦礫の山だけ。
人影らしきものは見当たらない―――― と、その時だった。
二人が向いているその数歩先。横方向への道を塞いでいる積み重なった瓦礫が、赤い閃光と共に吹き飛んだ。
立ち上る塵煙の中、周囲の瓦礫に似つかわしくないドレスを纏った少女が、こつこつと靴を鳴らし姿を現す。
そして、ルリを抱き上げているロミオを視界に入れると、ぱち、と瞬いた。
リン 「……ごめん…… わたし、空気読めてなかったかな?」
ルリ 「……!」
まばゆい赤が指し示す、その名はすぐルリの脳裏に浮かんだ。
無邪気かつ激しい攻撃性と、あどけない仕草。
炎にも、紅玉にも、朝日にも夕陽にも似て、そのどれでもない美しい赤の少女。
ルリ 「……リン?」
ロミオ 「……え、っ…」
瓦礫を無理矢理吹き飛ばしての登場と、ルリの言葉に困惑気味のロミオ。
二人を交互に見比べて、首を傾げる。
ロミオ 「……そう、なのか?」
リン 「……あなた達もわたしを知ってるんだ…… 申し訳ない感じというか、変な感じというか……」
唇に指を当て首を傾げる、ややあどけない仕草のリン。
その後ろから、すぐに二つの人影が現れた。
マリン 「もう、わざわざ壊さなくても回り道すれば……」
その手でフレイの左手を握って、二人並んで。
花が咲くように表情を明るくする。
マリン 「…………!! ルリ、ロミオ君! 無事で良かったです……!!」
フレイ 「……ロミオ!ルリも…無事だったのか、よかった…」
フレイも同じように表情を緩めるが、焼かれた足ですぐに走り寄る事はできない。
ペースを合わせるマリンと共にゆっくりロミオ達に歩み寄って、傷ついてはいるが無事である事を確認してから、傍らのリンの頭を撫でる。
フレイ 「ロミオたちがいるのわかって、急いでくれたのか?ありがとな、リン」
リン 「ん。さっきみたいに閉じ込められてたら困るかなと思って。」
ルリ 「マリン、フレイさんも……」
ロミオ 「兄貴、マリンさん……良かった……」
手繰るように、ロミオの腕の中でルリが三人へと手を伸ばす。
それを見て、ロミオが足を速めて、ルリを抱き上げたまま歩み寄った。
ルリ 「それに、やっぱり、リンだ。ふふ、こうなっても、マリンに似てるね。きょうだいみたい」
ロミオ 「……兄貴、マリンさん。やっぱり、その子は……」
無表情のまま瞼を下ろして、フレイに撫でられているリンを見て、ロミオが確認の視線を向ける。
マリン 「はい、ロミオ君。 リン、が……ちゃんと、帰ってきてくれました。 ……きょうだい、と言われると、少し恥ずかしい気もしますけど……」
マリン 「でも、私を助けるために、記憶は失くしてしまったみたいです。 私の身体にいた時の事はもう、覚えていませんけど…… 正真正銘、あの時の彼女ですから」
ルリ 「……記憶が……」
幼すぎる身ぶりと、薄すぎる感情表現。
照らし合わせてみれば、確かに以前の彼女とは一致しない。
ロミオ 「それでも」
ロミオ 「……それでも。こうして、皆生きてる」
フレイ 「ああ。……決して大きくない、いや、実際とんでもなく小さな可能性を、俺たちは、掴み取れたんだ」
静かにフレイが頷いた。
リンの背に手を添え、ロミオとルリに目配せする。
フレイ 「それに、リンも……記憶はないとはいえ、何も変わらない。帰ったら、皆で色んなこと話して聞かせてやるって、言ったんだ。いいよな?」
ルリ 「……ふふ。また、はじめから……何度でも」
ロミオの腕から、少しだけ身を乗り出すルリ。さらりと肩から赤い髪が滑り落ちる。
記憶がないというリンに対して、優しく微笑みかける。
ルリ 「……まずは、名前から。私は、ルリです。よろしくお願いしますね、リン」
リン 「うん、忘れちゃった事をもう一度聞くのは失礼かもしれないけど、ごめんね。 貴女は、ルリ。……よろしく、ルリ」
ぺこ、とリンも頭を下げる。
そして、どこか疲労感を感じさせる動作で、手頃な大きさの瓦礫に腰かけた。
リン 「今のわたしは、何も知らないから…… 最低限必要な事は、今聞いておきたいな。 何度もマリンが呼んでた貴方が、フレイ。 …………貴方、は?」
ロミオ 「……僕はロミオだ。よろしく、リン」
名前と顔を一致させるように、それぞれの顔を見比べるリン。
緋色の眼を向けられたロミオは名乗った後、少し俯き考えてからまた口を開く。
ロミオ 「……今度、うちへ遊びに来るといい。紅茶を御馳走するよ」
ロミオ 「………約束してたからね。大分前、だけど」
リン 「……そうなんだ。色々な人と約束ばかりして、ちょっと無責任そうな感じだね、わたし……」
相変わらず無表情のリンだが、何処か沈んでいるように見えなくもない。
それからロミオ達二人をじっと見て、もう一度口を開いた。
リン 「じゃあ、次の質問。 二人は、どういう関係なの?」
ルリ 「唐突……!!」
あまりに単刀直入すぎるリンの質問。
答えようとしてか、リンの傍で下ろして貰うように、ルリがロミオに合図を送る。
リン 「……またわたし、空気読めてなかったかな?」
ロミオ 「そんなことないさ」
ルリをそっと降ろすと、ロミオはリンへ向き直る。
極めて真摯に、そしてストレートに答えた。
ロミオ 「僕達は夫婦だ。……分かるかな」
リン 「夫婦…… は、具体的にどういう事をするの?」
ロミオ 「夫婦っていうのは……家族になって、この先もずっと一緒に、幸せに生きていくって事だ」
ルリ 「……年頃なのかな……。うーん……何を……?」
リンの側に腰掛け、考え込むようにくるくる首を傾げるルリの視界にふと、繋がれたままのフレイとマリンの手が映り込む。
ルリ 「…………なるほど……」
ルリの視線としみじみとした呟きに気付いたフレイは、繋ぎ合わせた手を見下ろす。
しかし何の恥ずかしげもなく、絡めた指を一層深めて握り直し、笑顔を見せて。
フレイ 「いいだろ?」
ルリ 「ふふ。いいですね」
マリン 「……え、えぇと…… ……あの……」
何か深く追及するでもなく、頬を緩めて感慨深げに頷いているルリ。
マリンの方は視線を向けられたりリンの話題を聞いているうちに、徐々に頬に朱が差していき、もじもじと目線を彷徨わせている。
フレイ 「ルリでも、あげないからな。もう俺のだから」
マリン 「ちょっ……!? フレイさん!?」
もじもじしているマリンに構わず、堂々とその手を引き寄せ、にやりと笑うフレイ。
人前で堂々と主張すると思っていなかったのか、マリンの頬が急激に真っ赤になった。
ロミオ 「ん?えっ」
リンの質問に答えていたロミオがふと視線を向けると、そこには恥ずかしそうに顔を俯けるマリンとにっこり笑ってマリンの手を握るフレイ。
問うようにルリを見ると、ルリはくすくす笑って、ロミオの手をとった。
ルリ 「……きいてみるより、見ていた方が分かるかも、ですよ、リン。……まだ夫婦じゃないけど……きっとかたちは一緒だから」
リン 「……そうなんだ。マリンとフレイは夫婦とは違うの?」
マリン 「違いますよ!? ルリも面白がらないでくださいっ!」
真顔で真剣に話を聞いているリンの横で、マリンはあわあわと片手を赤い頬に添えている。
ロミオ 「あれ……?そこまで進んでないのか…?」
フレイ 「ん?んー……」
マリンの様子を横目に見るフレイ。それから、マリンの空いている頬に、素早く唇を落とした。
顔を近づけたまま、揶揄う面持ちでマリンの琥珀色を覗き込む。
フレイ 「まあ、……まだヴェネダレッタご夫婦には及ばないか。な、マリン?」
ぱくぱくと開くだけのマリンの唇。
元々赤い頬が、更に急速に色づいていく。
フレイ 「ま、詳細は今後の知らせをお楽しみに、ってとこかな。あんまり苛めると、マリンが蒸発しちゃいそうだし、これくらいで勘弁してやってくれ」
マリン 「…………ふ、ふ、フレイさん――――ッ!!」
ルリ 「ああ、そんなに叫んだら……体が痛くなっちゃう……」
抗議の言葉の代わりにフレイの袖を引くマリンに、満足気にフレイが笑った。
フレイ 「あはは。可愛いだろ」
ロミオ 「なんだ……進展してるじゃん……」
リン 「…………?」
一人だけ話がわかっていない様子のリンだったが、そこで思い出したように口を開く。
リン 「そういえば、貴方達の住んでる場所は此処じゃなくて、マリンとわたしの為に此処まで来てくれたんだったよね。やっぱり、お礼は言わないとかな。 ……どうもありがとう。」
ルリ 「……ふふ。どういたしまして……ふたりのために、頑張れて、嬉しかったですよ」
リン 「そう……? 結構怪我してるみたいだけど、大丈夫? マリンなんて、声が出なくなってフレイに――――」
マリン 「そ、そうですっ! 二人も、フレイさんも、本当にありがとうございました……! 一生かかっても、返しきれない程の恩ですけど…… 何かあればきっと、力になりますから!」
ぺこりと頭を下げたリンの言葉を不自然に遮り、早口気味のマリンも頭を下げた。
その様子を訝しく思ったロミオが、マリンの代わりにフレイに視線を向ける。
ロミオ 「………兄貴?」
フレイ 「色々あってな……でも、それは秘密。悪いけど、他の奴には分けてやらねえよ」
フレイ 「まあ、真面目な話。……こうしてなんとか、目標を達成したとはいえ……俺たちは結構ぼろぼろだし、マリンやリンの身体も、本当に何も問題ないのか…心配なところだ。早めに帰って、手当てや検査をしたい。どうだ?」
ルリ 「はい。マリンは……今は、声が普通なら、信じますし……フレイさんも、右手が……痕が残らないうちに、何とかしないと」
少し真剣な顔に戻ったフレイの言葉に同調するように、ルリがはっきりと頷いた。
フレイの言葉通り、損傷が軽いと言えるのはリンくらいのもので、他の四人、特にフレイとロミオは即メディカルセンター行きを推奨されるレベルの状態である。
怪我の状況を顧みて、ルリが少しだけ眉尻を下げた。
ルリ 「……ロミオと、少しリュケイオンを見て回りたいって、話してたんですが……その場合じゃなさそうですね」
フレイ 「……」
治療を優先するなら、この場に留まる理由は無い。
しかし、ルリの言葉に対してフレイは緩く首を横に振った。
フレイ 「ん、いや……それは、悪くないだろう。少し、慌ただしいスケジュールにはなるけど、一日くらい、休む時間があってもいい。疲労を溜めたまま強行軍で帰還するのも、事故を呼びかねないしな。手当てだけなら、リュケイオンの中でもできるさ」
マリン 「当然です! ロミオ君にとっては、故郷なのですし…… 戦いのためだけに来て帰るなんて良くありません。 どの道クロエさんを送らなければなりませんし…… せめて、二人でゆっくりできる時間があっても良い筈です。だから、焦らずに行きましょう?」
ルリ 「…………!」
二人の言葉に、ルリがぱっと表情を明るくした。
ロミオ 「……そう?それなら、お言葉に甘えようか……」
ルリ 「うん、行く場所、厳選しておかないと……。ふふ、リンも、一緒ですよ」
嬉しそうに顔を見合わせるロミオとルリ。
自分も含まれているとは思わなかったのか、リンが自分の顔を指差し首を傾げた。
リン 「……わたしも? …………うん、じゃあ、邪魔にならない程度についていく。」
リン 「ふぁ……。……今の内に休んでおこうかな。なんだか身体が万全じゃなくて…… 寝てる間に、自分の力だけ勝手に使われたみたいな感じ」
瓦礫からゆっくり立ち上がると、小さな欠伸と共に口元を覆う。
マイペースに伸びをして、塵で汚れたドレスのスカートを手で払った。
リン 「それとこの服動きづらいから、歩きやすい服に着替えたいな。 お金持ってないけど……」
ロミオ 「……うん、服か。手配しよう」
ルリ 「ふふ。……気ままなところは、そのままだね……」
フレイ 「……リンも、たくさん頑張ってくれたからな。無理しないで、ゆっくり休んでくれ」
フレイ 「それじゃ決まりだ、一旦戻ってロミオの……ええとそうだ、クロエ、だったか。返さなくちゃな。彼女は?」
ロミオ 「……」
クロエの名前が出ると同時に、あからさまにロミオの表情が強張っていく。
今回はたまたま利害が一致したとは言え、彼女の主の事を考えると気持ちは晴れない。
ルリが気遣わしげに、伸ばした手でロミオの腕を撫でた。
ルリ 「ロミオ……」
マリン 「キャンプシップで、待機して貰っています。先程の戦いで負傷を……。傷の方はそう酷くないですが、あまり長く待たせるのは良くありませんね……。マクベス卿からもお叱りでは済まないかもしれません……」
フレイ 「そうか、仕方ないな……甘んじて受けるしかないだろう。ロミオにはちっとばかり我慢してもらって、なるべく早く送り届け……」
クロエ 「……そう思うなら、危機の後の恋心を温め合うのもよろしいですが、早く戻ってきてくださらないかしら。マリン・ブルーライン?」
凛とした声が、フレイの言葉を遮った。
独特のフォトンの音と共に粒子が形を結び、クロエが現れる。
焼き切れてざんばらになった髪を鬱陶しそうに払いながら、傷を庇うような動きで一歩、五人に歩み寄った。
マリン 「く、クロエさん!? まだ一人で出歩いては……!」
ロミオ 「……クロエ……」
ロミオの目線が、クロエの焼けた髪に向く。
苦々しい表情を浮かべるロミオに、クロエが微かに笑みを見せた。
優しそうな声色だが、猫撫で声という形容が近い。
クロエ 「……三男様のせいではございませんわ。我が主は次男様よりも寛大な御方ですから、いつぞやのようなことにはなりません。ご安心くださいまし」
くるりと踵を返すと、ちぐはぐになった髪がふわりと漂った。
ロミオに対しての態度とは対照的に、マリンには首だけを向け鼻で笑うように告げる。
クロエ 「傷なら粗方処置したわ、余計な心配をするよりも、早く帰りましょう。さもなくば、わたし一人でシップを駆って帰還しましょうか?」
フレイ 「………」
ルリ 「……ふふ。ごめんなさい、早く帰りたいのに……」
マリンに対する当たりに納得いかない様子のフレイだが、傷を負った姿を前にしては口を閉ざすしかない。
フレイとは対照に、ルリは微笑ましいものを見るような調子で、ゆっくり立ち上がる。
よろめきはするものの、歩行に支障は無いようだった。
ルリ 「(……次男。次男か……)」
ルリ 「……偉そうなこと言っちゃったから、ロミオより私が怒られるかも。大丈夫だよ、一緒だからね、ロミオ」
ロミオ 「大丈夫……ありがとう、ルリ」
ロミオ 「……僕も戦わないと。マリンさんみたいに」
ルリに笑いかけると、ロミオはクロエの後姿を眺める。
その背中を一足早く、マリンが追っている。
マリン 「……ご、ごめんなさい、待たせてしまった事は謝ります…… ですがもう少し、ご自身の身体に気を遣ってですね……」
構わず先に行ってしまうクロエに、小さく息を吐く。
追ってついていく前に、振り向きリンに手招きして。
マリン 「行きましょう、リン。皆さんも」
リン 「ん、わかった」
こくり、と素っ気無く頷くリン。
クロエの後ろにフレイとマリンが、その後ろにロミオとルリが、更に後ろにリンが。
晴天の下を歩き出す6人。一番後ろで、ふとリンが立ち止まり、空を見上げた。
リン 「…………この空を飛んでいった先に…………貴方達の住む場所があるの?」
ルリ 「……はい」
青と緑、ふた色の眼が笑う。
真っ白な指を、いざなうようにリンへ伸ばす。
ロミオ 「これから、君が生きる場所もある。そうだろ?」
その横で立ち止まるロミオも、優しげな流し目を向けた。
リン 「………………そっか。」
瞼を下ろす。
風になびく緋色の髪をかき上げ、無表情で動く事のなかった唇の端が、ほんの微かに上がって、自然に笑ったように見えた。
リン 「……行こう」
それは陽炎のように、次の瞬間には無表情に戻っている。
ルリの指に自らの手を重ね、赤い少女は再び歩き出した。
Thank you for reading this to the end!
- 最終更新:2017-11-12 22:26:33