幕間

「……ふぅ」

ペンを置く。
謹慎と同時に渡された大量の書類も、大方捌けてきた…… ように見える。
椅子の背もたれに寄りかかり、腕を天井に突き上げて伸びをした。

「…………」

部屋に音はない。
以前は2人用のマイルームだったのだが、同居者が姿を消し1人で住むようになって以来はとても静かな空間になっていた。
――いや、考えようによってはもうこの部屋に人は済んでおらず、亡霊が住み着いているだけなのかもしれない。
視界にちらりと写る紅い髪を見て、何となしにそんなことを思った。


視線をキッチンに移す。


料理を教わったことがあった。
教わったというより、ほぼ見ていただけと言ったほうが正確だけど……
あの時のパイはすごく美味しかった。
あれが自分で作れるのなら、真面目に教わっておけばよかった……かもしれない。


視線を窓に移す。


皆で食材を調達して、キャンプをしたことがあった。
いつもはただ戦闘で壊すだけのものが、意外に美味しい料理になってびっくりした。
それに、大勢でご飯というのも悪くない。
あの時は海だったけど、山や森でもやってみたかったな、なんて今では思っている。


視線をテーブルに移す。


お昼を奢ってもらって、焼肉を食べたことがあった。
……あれ、食べてばっかりのような……? 太ったら“わたし”のせいかもしれないけど、許してね、美味しいから。
焼肉というものは初めて知ったけど、やっぱりお肉は良い。
あいつ相変わらず世話したがりだけど、あの子に対しては気をつけたほうが良いわね、困るし。


一度、目を閉じる。


もう戻れない、過去を見た。

車椅子を押すのもようやくな背だったくせに、わたしを見下ろすなんてちょっと生意気。
未だに引っ張ってうじうじしているようなら張り倒してやるつもりだったけど、一応、とりあえずは合格かな。
別れはまた言えなかったけど、ま、元気でやりなさい。約束は破らないように。


そう、約束といえば。
もうひとつ、わたしには――誠に遺憾ながら――破れない約束がある。

15年前―― わたしが「マリン」の身体になってすぐ後の話だ。


――――――――


「…………」

母親となったセラフィナが、元の家から自らの家に連れてきて数ヶ月。
夜「私」が眠りに就いた後、何がきっかけか目が覚めると、「わたし」だった。
何かすることがあるわけでもなく、わたしはその足で庭まで歩くと、座って夜空を眺める。

「あら、今はあなたなの?」

後ろから声がかかる。 振り返るとセラフィナのにこにこした顔があった。
今にして思うと、後姿からどうやって見分けたのかとも思うけど、まぁ、あいつだから仕方ない。

「……ほっといてくれない?」
「あら、ごめんね? よいしょ」
「……」

全く悪びれずにあいつは私の横に座る。

「どうかしら?私の娘は。これから仲良しでやっていけそう?」
「……ばかみたい。たすけてもらったからってかみさまみたいになつくあのこも、たすけただけのこどもをかぞくにするあなたも。
 ふりまわされるわたしの身にもなってほしいんだけど」
「あらら、手厳しいわね」

思ったままの言葉をぶつけても、あいつは変わらずにこにこしたまま。

「あなたはマリンよりしっかりしてるのかしら?」
「とうぜんでしょ? くらべるまでもないもの」
「あらあら、それは頼もしい」

素晴らしいことだ、と言わんばかりに両手を合わせた。

「……なんて?」
「だって、マリンにはまだ友達がいないでしょう?私もお仕事でいつも一緒にはいられないし。
 文字通り一番近い場所にいるあなたがマリンの助けになってくれるなら、こんなに素敵なことはないわ」
「……あのね……」

5歳児の身のわたしが、良い大人に対して大きな溜息を吐く。
不機嫌を隠そうともせずに言葉を続けた。

「わたしがあのことともだちになるなんてひとことも言ってないでしょ?おなじ体だからってりゆうでともだちになるなんていやよ。
 だいたいわたしがからだをのっとろうとするとかいう発想はないわけ?じぶんのむすめがあぶないかもしれないのにほっといていいの?」
「あら、あなたも私の娘よ?」

ぽん、と肩を抱き寄せるように撫でてくる。
呆れを通り越して、わたしは黙ってしまった。

「マリンも、あなたも、私にとっては大切な娘。 だから、これは私の勝手な望み。
 あの子はよくできた自慢の子だけど、まだ子供だし、弱い所もあるから。あなたが助けてあげてほしいし、あなたもマリンに頼ってほしい」
「……あなた……おとななのに、ものすごくばかなのね」

でも、何故だろう。
馬鹿な願いを聞いているはずなのに、わたしの顔は笑っているとわかる。

「いつでもたすけろ、はちょっとむしが良すぎるわね。 もうちょっとかるくできないの?」
「うーん、じゃああの子1人でどうしようもない時だけ! どうしてもだめな時は、あなたが助けてあげて!」
「……ま、しかたないわね。 やくそくしてあげなくも「ありがとう!!」

言い終える前に、ぎゅっとあいつの両手がわたしを抱きしめた。

「ちょ、くるしいってばっ……」
「あ、ごめんごめん。あなたも困ったことがあったら言ってね。それとまたこうやって、2人でお話しましょ。
 ぜーんぶまとめて、約束よ?」

セラフィナが小指を差し出し、少し迷いつつもわたしがそれに自分の指を絡める。
「ゆびきりげんまん……」と、あいつが弾むように歌った。


――――――――


あの時は正直、セラフィナの勢いに押されてしまった。
あいつは今何をしているだろうか。 あの化け物が死ぬわけがないから、またその辺の子供におかしなことを教えてるのだろう。


椅子から立ち上がり、「マリン」として使っていた部屋を後にする。


欲しかったものは得た。見たかったものは見た。

――これが、わたしの最後の役目。

  • 最終更新:2016-01-17 23:56:00

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