偽りの楽土を越えて 2

「あ、――――」

最初に目に入ったのは、遠方の景色。次に、緑の草原。
此処が元いた辺境の野原で、宙に浮いた身体が重力に従い落下している事に気が付くのに、まどろみから覚醒した直後の為か少し時間がかかった。

「マリン!」

聞き慣れた声に目を向ければ、自分の落下予測地点に駆けるフレイの姿が視界に入る。
次の瞬間には、横向きに降下するマリンの身体がフレイの両腕に収まっていた。

蒼の世界を形作っていた火の粉の破片が、まるで雪のように煌きながら、ゆっくりと降り注ぐ。
その煌きを背後に、腕の中のこちらを見下ろしてくるフレイの顔を、呆然と見上げていた。

「……マリン。……よかった……」
「……フレイ、さん…… ……どうして、此処が……?」

安堵の息を吐くフレイは、ふわりと優しくマリンを地に降ろすと、手を離しそれを中空に差し出した。
すると、その手に白い光が凝縮し、ボウガン型の長銃となって形を成す。
それを揺らすと、蒼白い光と共に、り―――ん……という音叉のような音が響く。

それに応えるように、共鳴するように、マリンの手からも白い光が溢れ、やがて双剣を形作る。
以前リヒャルダから託された、強いイメージを形にすることが可能である特殊な武装だった。

「死にもの狂いで探した。……闇雲に走り回ってたら、ふと、イメージによってなんでもできる、ってリーダーの言葉を思い出してさ。試してみたら、うまくいったんだ。……本当に、よかった」

それぞれの武器を見下ろしていたマリンだったが、やがて剣を光の粒子に戻し収める。
そして、迷いもせずフレイの腕に両腕を絡め、顔を埋めた。

「……ごめんなさい。 また、心配をかけさせてしまいましたね…… ……本当に、ごめんなさい……」
「………ああ」

応えるように、フレイも自身の長銃を粒子へと還し、空いた手でマリンを引き寄せ抱き締める。

「本当に、心配したよ。……だけど、無事で良かった。だから、いいんだ。………だが」

抱き寄せたまま、噛み締めるように伏せていた瞼が持ち上がる。
剣呑な光に彩られた金の眼。舞い散る蒼き火の粉を睨み上げ、低く、重く、言葉を吐く。


「この子は許せても、この子に手を出す奴は許せない。アンタらは救うつもりかもしれないけどな……これが本当に、救いになると思ってるのか?――――なあ、顔くらい出せよ、黒幕さんよ」


途端、その言葉に応じるかのように、宙に舞い散る火の粉が一点へと収束していく。
人の背丈ほどの大きさになると、燃え上がる音と共に炎が弾け、黒いローブに身を包んだ女性が姿を現した。

マリンのものよりやや濃い金髪、何処までも深い青の瞳。
ローブで身体が隠れていることもあり、40代とも20代とも取れるような外見の女性は、我が子に向けるような親愛と慈愛を込めて微笑んだ。

『はじめまして、フレイ・フェミング君。 そして、久しぶりね、マリン。』

「―――母さん……!!」
「…………」

セラフィナ・ブルーライン。 幼くして両親を失ったマリンを拾い、育てた母親。
フレイがマリンの肩を抱く腕に力が入り、遠ざけたがるように引き寄せて口を開いた。

「……こんなことになってなきゃ、アンタにはお礼が言いたかったんだけどな。俺の恩人の母親なんだ。……なのに、まさか警戒しなきゃならなくなるとは」

は、と皮肉るように息で笑う。 そして、強い視線で青い瞳を射貫いて。

「アンタの部下たちは、抽象的なことばかりでな。仮にも、本気で娘を救うつもりなら。アンタの考え、計画を教えてもらおうか。……ま…さっきのやりようを見るに、聞いて納得できるかは怪しいところだが」
「……私からも、お願いします。 ずっと、会いたかった…… あの手紙を読んだ日から、探し続けていた。 ……でも、こんな形で再会したくなんて、なかった…… ……母さん、教えてください。 こんな事までする理由、必要性を」

『ふふ…… 良いでしょう。 此処まで来たんだもの、文句は無いわ。 望み通り、全てをこの場で教えましょう。』

色の異なる二人の瞳を受けて、なおセラフィナは穏やかに微笑む。
そして拍子抜けする程にあっさりと要求に答え、ゆっくりと語り始めた。

『マリン。 知っていると思うけど、リンちゃんを失ったことであなたの身体はもう限界なの。 あなたの同居人が他の誰かなら良かったけど、不幸なことに、リンちゃんの力は規格外すぎた。』
「………」

伝承を紡ぐ語り部のような穏やかな声に、フレイは大人しく耳を傾けている。

『リンちゃんと一緒になってからの大体15年間、あなたの身体はぎりぎり、それこそ奇跡みたいなレベルでバランスを保ってきた。 でも、大きすぎる力がすぽん、と急に抜け落ちたら、そのバランスも簡単に崩れることになる。』
『リンちゃんも、出て行く前に打てる手は打ったでしょうね。具体的に言うと、自分の一部をあなたに残す。だからこそ、あなたは最近まで問題なく生活ができていた。』

『でも、それじゃ根本的な解決にはならない。 大きな力が抜けたことでできた穴は、大きな力を使って埋めるしかない。』
『ありとあらゆる代替の可能性をシミュレートしたけど、駄目だった。 残ったのは、抜けていったリンちゃんそのもの。 それも、もう一度あなたの中にリンちゃんを戻すことはできないから、『リンちゃんを燃やし尽くすことで生まれるエネルギー』をあなたに与える。これしかないの。』

『ここまで、わかったかしら?』


「――――………、」

セラフィナが語った内容。それが正しいのなら、リンの犠牲の上でしかマリンを救う事はできない。
しばらく黙り込んでいたフレイが、ようやく口を開く。

「……アンタの言ってることは、わかった。だが、ありとあらゆる可能性がダメだった、ってことは、まだ納得できないな」

「俺の命そのものを捧げたら、どうなるんだ。……俺の生命程度じゃリン程のパワーは持ち合わせてないだろうが、もっと良い手段を探すまでの少しの時間稼ぎくらいにはなるかもしれない。それでもダメか?」
「……フレイさんっ!!」

淡々とした調子で問うフレイを責めるように、マリンが腕を抱く力を強める。
その様子を見て、セラフィナは可笑しそうに短く笑った。

『自己犠牲の精神、嫌いじゃないわよ。 でも、フォトンには種類というか、方向性?があるの。 貴方のがリンちゃんと同じかどうかは、調べてみないとわからないけど……』
『仮に一致したとして、どれほど延びるかとか、そういう保障もない。 そもそも、私もマリンの身体を直接調べたわけじゃないから、いつまで持つか私にもわからないの。 そんな綱渡りみたいな状況で、メリットも不透明な事に貴重な時間と、命を丸まる費やせる?』
「ああ、勿論……と、言いたいところだが、別に悲劇のヒーローになりたいわけじゃあない。そう言いたいんだろう?俺がマリンの命の糧になること自体は何一つ文句なんかないが、無駄なことをして人手を減らすくらいなら……確かに、合理的な話だ。胸糞悪いほどにな」

重苦しく溜息を吐くフレイ。
しかしそれ以上に、人の命を左右するにはあまりに淡々としすぎているその会話に、マリンが表情を歪めていた。

それでもまだ口を開こうとはせず、代わりにフレイが先を促す。

「…………まだ納得いったわけじゃないが、そっちの話の途中だったな。続きを聞こう。……リンをマリンのエネルギーへと昇華する。どうやってだ?」
『ふふ、真剣に聞いてくれてありがとう。 そこが大事な所で、宝石で眠ったまま、楽に死なせてあげる…… ……っていうことは、できないの。』

片手を胸元に当てる、上品な動作と共に語りを再開するセラフィナ。

『完全な状態――― つまり、人間の身体に戻してから、燃やしてエネルギーにしないといけない。 でも、リンちゃんの身体はもうないでしょう? だから、今まで色んな方法で、『身体を造る』手段を研究してきた。』
『身体を失ったフォトンを形にする装置。 マリンを元にして限界まで近づけた身体。 貴女も、あのお店の地下で見たわよね? 全部、リンちゃんの身体のためのプロトタイプよ。』

『人間の身体に戻ったら、その身体をリンちゃんのフォトンごと燃やすことでエネルギーに換える。一瞬でやっちゃったら十分に変換できないから、少しずつね。それから「もうやめてください!!」

悲鳴のような、震えた声がセラフィナの言葉を遮った。
いつの間にかフレイから身を離したマリンが、涙を溜めた瞳で正面からセラフィナと対峙する。

「母さん…… どうして、そんな非道なことを平気で口に出来るんですか……!? いくら私のためだからといって、こんな…… あの時の……、あの時から、何があってここまで変わってしまったんですか!?」
「……、マリン…」
「あの、スコールという…… ……私の、兄だという…… 男にしても、同じです。 人を傷つけたり、貶めたりすることを、笑って行う…… 何故そんな人を、配下につけているんですか……? こんな事、狂っている……!」

喚き叫ぶマリンの姿に表情を曇らせ、宥めるように肩に手を置くフレイ。
しかしセラフィナはそれでもなお涼しげに微笑み、立てた人差し指を唇に当てた。

『逆よ、マリン。 非道、悪逆こそ、笑って為さないと。』
『今でも、リンちゃんは自分の子だと思ってる。 でも、マリンを喪うくらいなら、私は喜んでリンちゃんを殺すわ。 倫理も笑いながら踏み躙る。 それをあなたが許さないというなら、それでも良い。 あなたに許されなくても、私はあなたを救う。一人の子を殺してね。』
「そんな………、………そんなことは許されはしない!!」

母と娘、親子が真っ直ぐに対峙する。
しかしフレイは、マリンに同意の言葉を上げる事も、諌めることもできずにいた。

セラフィナの手段を許容することはできない。
しかし、自身もまた、最終手段になればマリンを優先するつもりでいる。
それに、彼女の言う事も理屈では理解しているのだ。

「……自分の子、か。……セラフィナ、…さん。どうしてリンを捨てる選択をするんだ?子供であるというなら、マリンも、リンも、レンだって、アンタにとっては同じ条件のはずだが」

少しの思案の後に呟いた問いに、セラフィナは苦笑するように瞼を閉じてから答える。

『……ふふ、そうね。 あなたの言う通り、もしかしたら優先順位をつけて切り捨てている時点で、子供と思ってなんかいないのかも。 でも、このまま手を施さなければ、マリンを失って、リンちゃんが今までやってきた事全てが無駄に終わる。』
『彼女に敬意を表して、なんて虫の良い事を言うつもりはないけれど。 そんな結末よりは、私の選ぶ結末の方が彼女は救われる。 私は、そう思っているわ。』
「……そうか。そうだな、……それには同意する」

間違っている、と否定することができない。
そんなフレイを横目に、マリンが砕けそうな程に歯を食い締める。

「……そう、だとしても……。 私は、諦められません。」
「死にたくはありません。 でも、期限がわからないのなら、まだ時間が残されている可能性だってある…… 私達と母さん、手を組めば他の手段を見つけられるかもしれない。……そうでしょう?」

強い意志を湛えてセラフィナと視線を交わすマリンの手を、フレイがそっと取り重ねた。

「ああ。……それにも、同意する。……セラフィナさん、俺たちは、別のやり方を探したい。リンを犠牲にしない道を、諦めたくない」
「……フレイさん……」

『……ふふ、私だってリンちゃんを殺したくてこの手を選んだわけじゃないのよ。 私の見立てなら、他の手段は9割方有り得ない。 どんな事にも常に可能性が残っているからこそ、人はそれに縋って絶望するの。』
『それでも、いつ来るかわからない刻限までに、残りの可能性を見つけ出す可能性に賭けるっていうなら―――』

何か提示を求めるかのように、セラフィナの手の平が差し出される。

『私の考えを改めさせなさい。 言葉だけなら、いくらでも可能性を探れる。 力でそれを示してみせること。 それができれば、あなた達と力を合わせましょう。』
『ただし、こちらも全力よ。 手は抜いてあげられない。 最低限、お互い傷つき傷つけられる覚悟、それにあなたの仲間を付き合わせる意思。その二つがなければ、限られた時間の中で付き合う価値がないもの。 どうかしら?』
「…………フレイさん…………」

確認のよう、懇願のように。 微かな不安を表情に滲ませ、マリンがフレイの顔を見上げる。

「もちろん、俺はやるさ。マリンに付き合うとか、そんなんじゃない。俺もそうしたいと思ってるんだから」

にこり、と明るい笑みで当然のように返して。それから、悪戯の相談でもするかのように、少し身を屈めて優しく瞳を細めた。

「それから、他の皆については……きっと喜んで付き合ってくれるだろうけど……一緒に謝ろうぜ。迷惑かけるけど、俺たちの我侭を手伝ってくれ、ってさ。…な?」
「……はい。 ありがとう、ございます…… フレイさん。」

少し泣きそうな表情で微笑んで、マリンが小さく頷く。
そして、ゆっくりとセラフィナに対して向き直り、琥珀の瞳を決意に細める。

「……母さん。 私の心は決まりました。 何としても、あなたに打ち勝って…… 協力して貰います。 私のために……です。」
『……そう。 それじゃあ、私の本拠地までいらっしゃい。 『アークスシップ・リュケイオン』。 あなたの仲間と一緒に、ね。』

マリンの言葉を受けたセラフィナの表情が、少し満足気に緩んだ気がしたのは、マリンの願望からだろうか。

「……私達が、暮らした……」
「……リュケイ、オン。……ロミオの家の……そうか、アンタは確か、そこのメイドだったよな」

過去、マリンがセラフィナと共に暮らしていた特殊艦。
引っかかりを覚えたように眉を寄せたフレイが、そこで問う。

「……待てよ、アンタ、確か……ええと……侍女かなんかに殺された、って……どうやって逃げおおせたのか知らないが、同じ艦に居て平気なのか?」
『うふふ、さてどうなのかしら。 そうそう、今向こうはちょっと大変な時だから、もし私の計画が成功した時は――― 少し派手なことになって、ちょっと大変なことになるかもね。』

秘密、とでも言うように、立てた人差し指を唇に添える。

「母さん、まさか無関係な住民まで―――」
『大丈夫、死ぬのはリンちゃんだけよ? ちょっとディヴェローナには悪いことになるかもしれないけど………… うん、そこは我慢してもらうしかないわね。』

そこで、フレイが片眉を持ち上げて不敵に笑った。

「おっと、言ったはずだ。死なせる気はないぜ。だから、何も起きない。ロミオの家も無事だ。アンタと、可愛くねえアンタの息子と、それからゲーム大好きの胡散臭いあの野郎。三人とも、俺たちの味方になる未来が待ってるだけさ。そうだろ」
『ふふ、そうだと良いわね。 ちなみに、こっちの準備はもう進めてるわ。 一分一秒でも無駄にならないよう、あなた達のボスに頼んでシップの手配をしないとダメよ?』

くすくすと笑うセラフィナの周囲を、青い炎が逆巻いていく。
この場から退くつもりだ、と二人には判断できた。

「母さん、待って……!!」
『リュケイオンで待ってるわ、マリン、フレイ君。 到着までにもしっかり邪魔させて貰うから、油断しないようにね?』

一方的に言い残して、セラフィナの姿は炎と共に消えた。

塵のような火の粉だけを残し、何もなかったように静寂が戻ってから、緊張の糸が切れたフレイが長く息を吐く。
そして、繋いだ手を引き、マリンを引き寄せた。

「あ…………」
「マリン、身体は?……大丈夫か?」
「……はい、怪我はありません。 フレイさんが、助けてくれましたから……」

引き寄せられた腕の中で、フレイの顔を見上げ笑顔を見せようとして―――上手く行かずに、歪な笑みを向ける。
その引き攣った目元を、フレイの親指がそっと撫でた。

「……ん、ぅ…………」
「そっか。……気持ちは、大丈夫じゃないか?」
「……すみません。 格好つけておきながら、まだ…… 母さんと敵対するっていうことを、飲み込めてないの、かも……」

ぽつり、ぽつりと気持ちが漏れた。
フレイの胸元に額をつけ、その下ろされた金髪をフレイの指が梳くようにして、優しく撫でる。

「うん。……当たり前のことだから、仕方ないさ。気にしないで、全部吐いていいんだ。弱音も、悩みも、嫌なことも悲しいことも……俺に分けてくれ、マリン」
「……ありがとう、ございます…… ……でも、こうしている間にも、リンを復活させる準備は進みつつある……」
「沈んでいる時間も、本当は…… 無いのですよね……」

暗い声のままのマリン。
フレイは撫でる手を止め、少し考えてから口を開く。

「……絶対に見つける、とはいえ、リンを犠牲にせず、マリンを生かす方法は、針の穴より狭い可能性かもしれない。それに、相手の実力だって半端じゃない。俺たちが選びたい道をやり遂げるには、相当の力が必要だ。」
「…………だからこそ、全力を出せるように、今、灰汁抜きはしておかないとならない、って、俺は思う。……急がば回れ、ってやつだな」

俯くマリンの輪郭に手を差し入れ、緩い力で顔を上げさせると、安心させるように微笑んだ。

「俺はもちろん、皆も全力で手伝ってくれるはずだ。だから、焦らないでしっかり、最善を尽くせるように。な?」
「……フレイさん……」

泣き腫らしたような顔が、眩しさに目を細めるようにして、フレイの顔を見上げた。

自分達の命を賭け、母と戦う。
その重さに潰されそうな心が、確かに支えられていた。

  • 最終更新:2017-03-29 23:48:21

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