二番目の上昇B 2

クロエ  「……、………」


ゆっくりと、クロエの青い隻眼が見開かれる。
ひとつ、ふたつ、瞬いてから、ぽろりと零れてしまったように声を漏らした。

クロエ  「……生きていたの?」
マクベス 「……」

マクベスにとっても聞き逃せる事実ではない。無表情の片眉がぴくりとつり上がる。
問い詰めるような視線がクロエに向くが、先に答えたのはマリンだった。

マリン  「……はい。彼女は、確かに生きています。」
ルリ   「……」
マクベス 「………仕損じた末が、これか……」
クロエ  「……、…っ」

口を開いたマクベスの声に、クロエが鋭く息を呑んだ。

マクベス 「……リュケイオンを巻き込もうとする魂胆も、判らなくはない」
マリン  「……巻き込もうとする魂胆……ですか?」
マクベス 「……因縁浅からぬ場であろうよ、貴様の母親にとっても」

自らを処分したディヴェローナ、及びリュケイオンへの報復――― マクベスはそう取ったのだろう。
その足元にクロエが崩れるように膝をつき、深く頭を垂れる。

マクベス 「クロエ……この話が真実ならば如何にして雪ぐ、この責」
クロエ  「申し訳ありません、主……わたしが、処分を、誤り……この、ような」
マリン  「……私には、あの人の心はわかりませんが…… マクベス卿。貴方が王であるなら、今はクロエさんを責めるより先に、するべきことがあるはずです。」
マクベス 「……言われるまでもない。猫一匹の命で到底贖える責ではない、ならどうすべきか」

緊迫した空気の中、ルリが、マリンが、フレイが、続くマクベスの言葉に耳を傾ける。

マクベス 「………貴様らにクロエを貸し与えてやる。其奴が一緒なら、我が配下も大抵は力を貸すだろう」

クロエ  「! ……主、御慈悲に感謝いたします……。必ずや、始末をつけて参ります」
マクベス 「ふん……当然だ、駄猫め」

一度上げかけた頭をさらに深く下げると、桃色の髪の先がカーペットの上に波打つ。
その様子を見て、ルリもほっと息を吐いた。

ルリ   「良かった……」
マクベス 「……少々癪だが、貴様らの声は私の耳に届いたようだ」
マリン  「……マクベス卿…… ありがとうございます。」

ルリと同じくほっとした様子のマリンを横切り、フレイがクロエに歩み寄ると、手を差し出した。

フレイ  「………。ほら、立てよ。いつまでも女性が床に張りついてるもんじゃない」
クロエ  「………」

対してクロエは、黙って顔を上げると、フレイの手を一瞥しただけで無視して立ち上がる。
そしてもう一度、改めてマクベスに頭を下げた。

フレイ  「………、……ま、いい。無事に交渉成立したし、今ここで話すことじゃねえな」
マリン  「……フレイさん、少しだけ……」

二人のやりとりを微妙な表情で見守っていたマリンが、フレイと入れ替わるようにしてクロエの前に立つ。

マリン  「クロエさん。貴女が何故あのような事を言ったのか、今は問いません。母の思惑は、今こうしている間にも進んでいる……それを何としてでも止めるために、私は貴女の力が欲しい。 ……手を貸して頂けますか?」
クロエ  「……わたしは」

真剣な琥珀の瞳と共に、差し出されたマリンの手。
それもまた、クロエが取ることはなかった。

クロエ  「……わたしは……わかっていたわ。これは事故ではない……どんな思惑にせよ、行動に後悔がないにせよ、これはわたしの不始末。あなたを助けるのではなく、わたしはわたしの清算と、主への不実の償いのため、あの女を掃い捨てる」

その代わりか。掴み上げた自身の抜剣の柄を、マリンのてのひらに乗せる。

クロエ  「そして主が、慈悲を下さった。あなたたちの剣となることで、雪げと仰るのなら、わたしはそれを全うするわ」
マリン  「……。……わかりました。それが、貴女の信念であるのなら。」

手に乗せられた抜剣の柄、その感触を確かめるように、静かに握る。
それからゆっくりと手を離すと、緊張を解くように息を吐いて告げた。

マリン  「作戦実行は、明日。 それまでに準備を済ませておいてください。 今夜中に拠点の場所を特定し、朝に合流の後、向かいます。」
ルリ   「改めて、よろしくお願いします、クロエさん」
ルリ   「お義兄さんも、ありがとう。きっと、今度は怪我をさせないで帰しますからね」
マクベス 「……その呼び方は、どうにかしておけ。赤毛」
ルリ   「あなたが私の名前を覚えたら、考えます」

つん、と相変わらずマクベスに対しては不遜な態度のルリ。
一方フレイは、マクベスの背後の扉に視線を向けている。

フレイ  「……そろそろ、ロミオも戻る頃か?」
ルリ   「そうですね、結構時間が経ちますし。呼んだら来るかな」
マクベス 「そう時間はかかるまい。あれはまだ死なん」

マクベス 「……気付いていたかクロエ。親父殿の目、お前の尻を追っていたぞ。とんだ狒々爺よ」
クロエ  「……偉大なる当主様とはいえ、殿方ですもの、仕方ありませんわ。……それとも主、言うことを聞けない猫に、意地悪を仰られているのですか…?」
マクベス 「馬鹿め……」

くつくつと笑うマクベスを見上げ、困ったように眉を下げ微笑むクロエ。
その背後で扉が開き、ロミオがこちらに歩いてくるのが見えた。

マリン  「丁度良いですね。それでは、私達は行きます。今日はこちらのホテルに宿を取りますから、何かあれば連絡を。」
ロミオ  「……ごめん、お待たせ。皆」
フレイ  「……無事か。よかった」
ルリ   「ロミオ、おかえりなさい。……クロエさんを貸してくれるってお義兄さんが……あとは、明日に備えるだけだよ」

マクベスらの傍らを横切り、三人の元に走り寄るロミオを、ルリが手を差し伸べて迎える。

ロミオ  「貸す……あの人らしい。けど、本当に協力してくれるなんて…」
クロエ  「……あなた方を助ける、わけではないですわ、三男様。そう思いたいのであれば、構いませんが」
ルリ   「味方なら、何だって良いです」
ロミオ  「……」
マリン  「何にせよ、こちらとしては十分です。よろしくお願いします、マクベス卿、クロエさん。」
フレイ  「……じゃ、明日は頼む」

先に踵を返すフレイ。 最後までクロエに対し何か言いたげな様子だったが、飲み込んだようだ。
すれ違い様にマリンの頭をぽん、と撫でると、緊張が解けたようにマリンの頬が緩む。
その背を見送り、クロエもそっとマクベスに声をかけた。

クロエ  「……主も、そろそろお部屋にお戻りに…」
マクベス 「やれやれ……」

溜息混じりに踵を返すマクベス。
一方フレイの後を追おうとしたマリンだが、思い出したように一歩進めた足を止めた。

マリン  「……マクベス卿。やはり、貴方は王でした。冗談のような私の話を笑い飛ばさず、民を危険に晒さない。クロエさんがそこまで従うのも頷けます。」
マリン  「……でも、貴方の弟も、貴方とは違う強さを持っています。私は恨まれても仕方ありませんが、彼にはもう少し優しくしてあげてください。」

苦笑するように少しだけ笑って、マクベスに背を向けたまま話す。
だが当のマクベスは、それを一言で切り捨てた。

マクベス 「要らぬ世話だ」
マクベス 「お前と母親のように、我らにも我らの関係がある。そうだな」
ロミオ  「………っ……」

振り返る事なく、肩越しでだけロミオを見ると、それだけ言ってマクベスは屋敷へと去った。
それに続くように、従者であるクロエも一度だけマリン達を一瞥して、マクベスに続く。

ルリ   「……」
マリン  「……行きましょう」

フレイの背を追い、廊下を去るマリン。
睨むような、惜しむような目で兄マクベスを見送るロミオと、それを労るように、右腕を抱くルリ。

過去に刃を交えた者同士が、それぞれの目的のために手を結ぶ。
それは利害の一致以上ではなく、一時的な共同戦線に過ぎないのだろう。
しかしそれでも、確かに道は交わった。その道の先に存在するのが、どんな結末なのか――――

全ては、明日。セラフィナとの対面により、答えは出るのだろう。

  • 最終更新:2017-07-16 21:21:59

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