激しい砂埃が視界を埋め尽くす。吹き荒れる風の音によって、一瞬、それ以外の音が消滅する。
しかしその隙間に、確かに敵意が存在していた。無機質な敵意、つまり、この惑星を守る機甲種の気配である。風がわずかに弱まった瞬間、群れをなしていた機甲種を糸でつなぐように、細く、だが、はっきりと濃密なフォトンが電流となって走る。穿たれたパーツから黒い煙を上らせながら、力尽きたように崩折れる機械たちを避けて、彼女は再びその歩を進め出した。徐々に治まりを見せる暴風の向こうから、一面砂の色に覆われた侘しい風景が見える。所々に、枯れ草と、岩山、ガラクタ同然の機器が転がるだけの風景。頭上からの強い日差しを感じる濃い影があるものの、実際の光源は、細かい流砂のベールに覆われている空から見つけることはできない。
生命の有無に関わらず、この地にあるもの全てをくすませてしまうような。そんな色彩の中にあっても、少しも霞まず、呑み込まれないものが、ふたつだけあった。そのうちの一つである彼女が、あかい唇をそっと開く。

 
「……この星、“あなたの星”とは大違いでしょう?」

 
私も、あなたの話を聞いただけ、だけれど。
呟いて、彼女はひとり微笑む。分かれ道に差し掛かり、風向きと、フォトンの気配を探るように目を閉じ、足を止める。少しの間をおいて、躊躇いなく右へ足を向ける。時々、小型の機甲種が現れては、鮮烈な雷に変質したフォトンによって、駆動中枢を止められていった。暴風と砂塵に晒され、いずれ風化し、この星を覆う砂の一部となるのであろうそれらを、彼女は決して踏もうとしなかった。

 
「緑に満ちた星、かあ……私も見てみたかったな。……ああ、きっと……あなたが、卒業試験を受ける星、少し似てると思う。あの景色が、近いのだとすれば……あなたの星、とてもとてもきれいなんでしょうね……」

 
ひどく荒涼とした背景に似合わない、やわらかい表情で、彼女はそう言うとくすくすと嬉しそうに笑った。砂埃と、かつて動いていた機械や生命の遺した欠片、そして削れた鉱物の粉塵、それらが混ざり合い吹き付けても、彼女の純白が汚れることはなかった。特別色素の薄い肌、真っ白な髪、そしてフォトン感応に長けたその身を包む白い戦闘服、幾何学的な意匠の白塗りの杖。そのどれもが、荒れた砂漠に溶け込むことなく、仄かに光って浮かび上がるようだった。工場と思しき、ランプの明滅する古ぼけた機械の隣を、通り過ぎていく。
その時、前方の岩陰から、黒いもの―――この地にあって、霞まず、呑み込まれずにいる、もう一つのもの。否、呑み込まれるのではなく、全てを呑み込み、喰らおうとするもの―――、ダーカーが姿を現した。優しい表情が変わることはなかったが、彼女の瞳はしっかとその黒い生命を捉える。一瞬にして身に纏うフォトンの質が変容し、ゆらめくような灼熱が彼女の周りを満たす。炎よりもさらに苛烈な熱波が、目を刺すような光へと変わり、光は刃を形作り、瘴気を撒くその甲殻を貫いた。ひしゃげた鳴き声を残し、微粒子となって消えていくその跡を、わずかにも汚れのない白い靴が踏んでいった。

 
「そうだ、卒業試験……ナベリウスと言えばね、最近、そのナベリウスの奥地が見つかったのよ……このエリアの調査が終わったら、そちらへ向かう予定なの。どういう地質なのかはわからないけれど……雪の降る地らしいわ」

 
ちらりと、彼女の桃色の瞳がこちらを見て、悪戯っぽく笑う。

 
「雪、いっしょに見たいねって……話したものね。海は、もうみんなで見に行ったから……“雪”は、“私”だから……私とふたりで、見に行きたいねって……言ってくれたよね。ふふ、あの時ちょっと照れてぶっきらぼうになってたあなたの顔、可愛かったなあ……なんて、言ったら、またぶすっとしちゃうのかしら」

 
しばし、風の音に混じって、鈴を転がすような笑い声が響く。

 
「一週間後には、卒業試験だものね。これを見てる頃には……明後日か明々後日くらいかしら。正式にあなたがアークスになれたら……きっと、あなた、もっと、すごく頑張るでしょうから……すぐに、私に追いつくと思う。そうしたら、一緒に凍土の調査のお仕事も受けられるかもしれないわね。勿論お仕事だし……未踏破の地は危険もたくさんあるから、気は抜けないけど……でも、温度調整のなされたシップでは見れない、自然の雪を、いっしょに見れるのは、楽しみだなって……思うくらいは、いいわよね?」

 
確かめるようにして言った言葉の端を、目の前に口を開けた洞穴が吸い込んでいった。あまり大きくはないが、岩山を貫通してその奥まで続いているようだった。ゆっくりと彼女はロッドを握り直し、乱れのない歩調のまま、足を踏み入れていく。しばしの暗闇。そして抜けた先に、何かしらの施設―――その殆どが砂に埋もれている―――が見える。敵の気配もない。彼女は落ち着いた様子で、小型の端末を操作するとホログラムのウィンドウを表示させ、更に指先で何かを入力し始める。少しの間があって、静けさに包まれた砂漠に、機械越しの声が落ちた。続いて、彼女の声が返答する。

 
「応答感謝します。指定座標に到着しました」

「了解しました。ミス・エネルテ、そこから数キロメートル先、座標E-6地点に、大型の反応があります。コードD-3です。即時殲滅に向かってください。テレポーターを転送します」

「承りました。殲滅が完了次第、次の任務地に向かえばよいでしょうか」

「ミス・エネルテの次の任務は……ナベリウスの新エリアですね。では、コードD-3の解除を確認次第、座標E-6上空にキャンプシップを向かわせます。直接ナベリウスの凍土着陸ポイントへ飛んでください」

「はい。よろしくお願いします」

「では、ご武運を」
 

ナビゲーターの音声が途切れ、彼女がウィンドウを消し、端末を仕舞いながら施設の元天井らしき場所に足を着けると同時に、光で形作られた円形の転送装置が音もなく出現した。迷いを見せず、光の輪に近付いていく彼女の足が、一度だけ止まる。ゆっくりと空を見上げる。風が再び強くなりはじめていた。嵐を感じさせる、巻き上がる砂の帯が、遠くに見える。それじゃ、行きましょうか。独り言のように呟いて、また彼女はこちらを見てそっと笑った。











 
吹き荒ぶ砂嵐で、視界の殆どが阻害されている。黄土色の膜の合間に見えるのは、赤黒い瘴気と、鋭い牙、うねる触手のような何か、そしてそれら全てを掻き消すような強い光。聴こえるものも、不快なノイズと、激しさのあまり罅割れた戦闘音ばかりであった。そんな光景が五分は続き―――唐突に嵐は晴れる。長く尾を引く、気味の悪い断末魔と共に。地を揺らさんばかりに、その虫型の巨体が倒れ伏し、ぼろぼろと崩れ、風に流されて砂と混じり、消える。先までの暴風が嘘のように、再び穏やかな静けさを取り戻した砂の海に、荒い息が目立った。

 
「……ふ……ちょっと、一人でこの数は……疲れちゃう……なあ。……消耗はした、けど……大きな怪我も……なく……倒せてよかった…………。はぁ……でも、これ、あなたがアークスになれた時の……参考資料として、録ってるのに……砂嵐のせいで……殆ど映らなかったんじゃ、ないかしら……?別の方法を考えないといけないかも、ね…………ふう」

 
膝に手を着いて、息を整えながら、ぽつりぽつりと呟いていく。最後に大きく長く、深呼吸をすると、上体を起こしてこちらに手を伸ばした。視界が少し揺れる。

 
「残量があんまりないわね……ストック持ってたかしら。……直行だし取りに戻る暇もないし…………うーん……アムドゥスキアから始めたから……これ以上は保たなそうね……」
 

思案顔の彼女のアップが視界に広がる。激しい戦闘の直後にも、少しも汚れることのない白。色素の薄い特異な体質のせいで、ロゼ色に見えるきれいな瞳が、楽しそうに微笑んだ。

 
「そうね……せっかくだから、凍土は……ふたりで行くときのお楽しみにしましょうか?私だけ先に行っちゃうけど……先輩アークスとしてそれくらいはいいわよね。ふふ」
 

そう言って離れた彼女の背後に、先ほどより少し小型のテレポーターが出現していた。上機嫌に振り向き、輪の中へと歩んでいく後ろ姿。輪の中に入りきり、再度こちらへ向き直った彼女が、やさしげな顔で、またそっと手を伸ばしてくる。

 
「それじゃ、またね。あなたとアークスシップで会えるの、楽しみにしてる。試験頑張ってね。……大好きよ、フレイ」

 
そして静かに、視界が暗闇へと変わる。
 
 
 

 
 














そこまでを再生して、青年の手に乗った小さな機械は、動くのをやめた。
部屋は静寂に包まれた。掻き消えたホログラムの映像があった場所を、震える手で掠めて、青年は崩れ落ちるように蹲る。大きな音をたて、ダイニングテーブルの足にぶつかるが、呆然とした様子で機械を握り締め、ますます身を縮めるだけだった。テーブルの上には、同じ形の小型のホログラムレコーダーがいくつかと、電報じみた素っ気無い書類が一通の封筒から飛び出していた。それから、試験概要と書かれた小さな用紙が一枚。
青年が、押し殺した悲鳴のような声で呟いた言葉は、誰に聞き届けられることもなかった。




  • 最終更新:2014-07-02 12:13:39

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